つづきを読み進めた。
本書の骨格がハッキリ見えた。
それは、競争によって「個」の特性が見えてくるということであった。
本書ではピース又吉氏の『火花』が紹介された。
漫才は激しい競争のなかで磨かれていくのであって、たとえ落ちこぼれようとも、生き残った漫才師の技術は競争によって生まれた、ということが示されていると著者は指摘する。
そして、落ちこぼれても独自の技術を磨き、勝てる分野を開拓すれば才能は磨かれるだろうし、そのようにして分業化し、全体的にレベルが底上げされるのだという主旨であった。
また、実験では競争の概念のない教育を受けると、利他性に欠ける価値観が生まれやすいということも示された。
どこまでも競争を肯定しようとする、経済学者の信念なのだろうか。
僕は考えた。
以上の文脈からすれば、競争は正しい。
たとえ負けようとも、自分の強みを生かせば比較優位の原理で社会も豊かになっていく。
うまく機能すれば、ということが前提になってくる。
実際はどうだろうか。
そもそも現実は競争で溢れているのだろうか。
負けたひとは即退場の世界なのだろうか。
世の中は別に、トーナメントが全てではない。
負けるとか、勝つとか、それは実は目に見えない虚構のような気もしないでもない。
理論がどこまで現実に組み込めるのか。
どこまで正確に組み込めるのか。
これが行動経済学の課題であるように見える。
つづく
公開日2022-01-22