■株式会社講談社
公式HP:https://www.kodansha.co.jp/
公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/KODANSHA_JP?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
日記
池田晶子『オン!埴谷雄高との形而上対話』講談社 (1995年) と、
フランクル『虚無感について』のつづきを読む。
埴谷雄高の『死霊』は簡単ではない。
故に、挫折して積読のままになっている。
池田晶子いわく、「あんな人は他にいない」「埴谷雄高は我々と同じ人類ではないぞ」である。
こちらからすれば、二人とも別次元の人間である。
しかしながら、素人でもこの二人の生き方について知ることくらいはできる。
フランクルはニーチェの言葉を引用する。
”「生きる理由 (why) を持っている人は、ほとんどどのような事態 (How) にも耐えることができる。」” P82
池田晶子氏は自殺に関して言及していた。
「善く生きるということを、人は人生を通して示さなければならない。
自ら命を経つということは、善く生きるとは何か、という問いを放棄することである」と。
池田晶子氏はエッセイで「生きていることなどどうでもよくなってきた」と書いている。
それでも「善く生きる」ということだけは貫いた。
最後はガンで亡くなったとされる。
私は初めてバイト代で本を買うようになった頃、ある言葉に出会った。
「人は簡単な理由で死ぬが、簡単な理由で生きることができる」
しかし、フランクルであればそんなことは言わないだろう。
ニーチェのいう「生きる理由」というものは、おそらく池田晶子氏のような理由と同じくらい固いものである。
しかし固さは時に脆くもなる。
柔軟性のある「生きる理由」とは何か。
つづく
公開日2022-05-13