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読書日記608

池田晶子『睥睨するヘーゲル』講談社 (1997)

■株式会社講談社

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つづきを読み進めた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/05/31/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98607/

   

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日記

将棋について語られた。

将棋やスポーツ、数学や科学の学問は決着がつく。

池田晶子氏は文系の学問に決着がつきにくいことを語った。

また、池田晶子氏の文壇デビュー当時は、訳のわからないことを語るネーチャンだと揶揄されたことを語る。

しかし、決着をつける方法があった。

ソクラテス式問答であった。

ここに活路を見出し、池田晶子は技術を磨いた。

その成果は恐らく『無敵のソクラテス』に少なくとも表れている。

簡単に言えば「論破」である。

しかし、論破とソクラテスの反駁は次元が違う。

ソクラテスは本質へと掘り下げていく。

本質は現実に先行する、と個人的には思う。

現実は捉えどころがない。

だからこそ本質から詰めていく必要がある。

公開日2022/8/16

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