つづきを読み終えた。
この本を読んでいる途中、そして読み終わったあとも様々なことを考えさせられる。
まとまらない。
何故か。
おそらく、物語というものは人の内面を揺さぶる力があるということだ。
誇張かもしれないが、それほどに読書体験というものは特別であり、異質であるということではないだろうか。
ポルノグラフィティの有名な曲、「ヒトリノ夜」にこんな歌詞がある。
“イージーラブ!イージーカム!イージーゴー!”
僕はこう解釈する、
つまりは簡単に入っていくものは簡単に抜けていく、それは「受動的」なものでもある。
受動的でいる限り、掴めるものが掴めなくなるというメッセージを感じる。
僕は映画より読書のほうが後味が長く残ると思っている。
それは、映画鑑賞が受動的で、読書は能動的であるから。
おそらく、能動的な活動のほうが記憶に残りやすいというのは普遍的だ。
この本は本の魅力を伝える内容が大きな割合を占めているが、僕は著者の人生に潜んでいた壮絶な絶望体験が隠れているとみる。
「本はいつも弱者の見方」
悩みは人と本を繋げる接着剤だ。
ナラティブ・セラピーという治療法もあるくらい、物語の力は大きい。
しかし近年は小説が溢れて何を読めば良いのか分かりづらくなっている。
陳列にまつわるお話として、モノが過剰過ぎると人は選びにくくなるという心理が働くというものがある。
この状況の突破口としても一万円選書がうまく機能している。
加えて一万円選書は、資本主義が生み出したモノの過剰時代において、人が忘却し、失ったものを取り戻してくれる町のお医者さんでもある。
つづく
公開日2022/1/12