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日記
以前にも読んだがしっくり来なかったので再度読んでみることにした。
眠気と戦いながら、今日も意識は飛ばしつつもページは飛ばさずに読み進めた。
最近感じるのは、意識が飛んでもしっかりと本が開いたままになっていることは、ひとつの、人体の神秘性ではないだろうか。
マルクス主義と知識人の思想史を、思想史の専門家で金沢大学教授の仲正氏が語る。
憶測にすぎないが、池田晶子氏が「ニューアカデミズム」に嫌悪感を示していたことがなんとなく分かってきたような気がしてきた。
というのも、仲正氏によれば、マルクス主義が衰退し始めると知識人の「言い訳」が露呈するようになったそうなのである。
レーニンとスターリンをくっつけ、あたかもマルクス主義がこの二者と無関係であるような物言いをするようになったり、「自分は最初からマルクス主義を批判していた」と主張するようになったそうなのである。
結局のところ「考える力」が足りなかったのではないだろうか。
池田晶子氏のように、あまり本を読まずに物事を自分の頭で考え続けた哲人にはそのことを見抜いていたのではないだろうか。
そのことを感じ始めた私は批評家のH氏やG氏の本にさっぱり関心がなくなってしまった。
第一章の最後に、仲正氏は(政治的な実践を伴うより)問いつづけるほうが健全に思えると語る。
典型的な知識人のように、「自分の言っていることは正しいからそうしろ」とは言わず、対話を通して問いとぶつかり合い続けることが「人間の条件」であるとハンナ・アーレントが言ったことを仲正氏は挙げた。
確かに、と思うところがあった。
第二章もゆっくり読んでいきたい。
公開日2022/8/23