■慶應義塾大学出版会株式会社
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つづきを読み進めた。
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日記
何のために編集は存在するのか?と問いながら本書を読み進めた。
著者は人文と科学の価値について語る。
科学は技術に直結する。
従って、科学は「モノ」から人間を変える力があると語る。
身体障がい者をエンパワーメントすることはこのことに当たると感じた。
人文は、「言葉」から人間を変える力があると語る。
「洗脳」というと言い過ぎになるかもしれないが、本を一冊読むことで「自己変容」することへの恐れが人にはあるのでは、と著者は語る。
まさにその通りで、個人的にも読書を通じてショッキングな出来事を何回か経験した。
今すぐ燃やしてやりたいと思う本も多かったが、自分を解体し、新しく生まれ変わる過程であったと今は考えている。(脱皮のように)
編集とは「媒介」であると感じた。
著者も「助産師」と位置付ける。
新しく生まれる「知」を生み出すのは時間がかかる。
それは赤ん坊が生まれるまで時間がかかるのと同じであるように。上手い比喩であると思った。
著者は古典の力について説明する。
今日生まれてくる新しい知は未来の古典になり得る。
本は事実の羅列ではなく、そのなかの情報は体系的でなければならない。
つまりは、咀嚼しやすいように大きな知を「噛み砕く」役割が「編集」である。
知のリレーとして編集は人間の大切な営みであると感じた。
つづく
公開日2022/8/27