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日記
非常に分厚く、まだ何も本書から拾いきれていないので何故本書を読んでいる自分がいるのかを書き残す。
ベルクソンに『笑い』という本があるように、ユーモアは哲学者にとってもひとつの関心あるトピックとなっている。
笑いは様々な観点から論じることができる。
医学であればその効用、言語学(≒哲学)であれば意味論から、心理学であれば笑いと寿命に関する統計学的な研究も可能だろう。
しかし自分はそこには興味がない。
動物は人間のように高らかに笑うことはない。でも理由は分かりそうである。
証明されてはいないにせよ、笑顔の源泉は「言葉=意味」であると察することは直観で可能である。
言葉を持っているゆえの副作用としての笑い。
そのメカニズムを突き詰めることは骨が折れそうなのであくまで読み物として読むにとどめたい。
ゲーテがエッカーマン『ゲーテとの対話』において、日々の「驚き」こそが人間にとって最上の価値であると言っていたように、また、池田晶子氏も同様に驚くことから哲学が始まると言っていたように、これからの人生、自分はそれを大事にしたいと思った。
最近はただ単にテクストを読解していくことに無意味さを実感しつつある。
大事なことは謎を謎だと感じる心である。
笑いは言葉の意味作用でありそうである。
海にいる魚が水の存在に気づくことはなさそうにみえるように、言葉そのものが価値であると池田氏が言っていることの意味を、言葉の海のなかで見出しすのは難しそうである。
笑うことは幸せだ。価値だ。
しかし、笑いは言葉の副産物でありそうだ。
意味の外側に笑いはない。
言葉は目にみえにくい。
みえにくいものは価値もみえにくい。
見えるもの、見えないもの。
途方もない小さな世界が宇宙のように壮大な大きな世界を生む条件であるように、目に見えない世界の持つ途方もない価値というものを、言葉で語りたい。
それに尽きる。
公開日2022/9/16