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新・読書日記67

           川上未映子『ヘヴン』講談社文庫(2012)

■株式会社講談社

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        辻山良雄『しぶとい十人の本屋』朝日出版社(2024)

■株式会社朝日出版社

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      池田晶子『あたりまえなことばかり』トランスビュー(2003)

■株式会社トランスビュー

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メモ

  

“そしてもうひとつ、考えて何の得になるかということを敢えて言うなら、そういう人が増えれば必ず社会は変わります。” P100(『あたりまえなことばかり』)

 

“哲学者とは。自分が知らないということを知悉している人なんですから。” P100(『あたりまえなことばかり』)

  

“でもいまは労働にしても消費にしても合理的であるほどスマートでカッコいいというイメージをみんなが持っている。しかしそれによって自分が職を失ったり、仕事からやりがいがなくなるということについてはみな無自覚ですよね。” P137 (『しぶとい十人の本屋』)

  

“旅を続け、人に話を訊けば訊くほど、本屋という仕事に共通する正解などどこにもないことを思い知らされる。どんな仕事も与えられた場所、与えられた条件で、その人なりの花を咲かせるしかないのだ。” P192(『しぶとい十人の本屋』)

 


日記

『黄色い家』を読み終えたあと、どことなく川上未映子という作家に親近感がわき、次に『ヘヴン』を読んでみることにした。(Twitterの影響かもしれない)

『黄色い家』とどことなく似ていて、「無力感」というモチーフが一貫しているように感じた。

まだ50ページほどしか読んでいないので、このあとどのように展開されるのかが気になるところである。

  

『あたりまえなことばかり』は、あたりまえ過ぎてそこから見逃されていることを池田晶子が淡々と語りかける。

「何のために生きるのか」という問いは、「生きるということはそもそもどういうことか」という問いが括弧に入れられてしまっている。

そもそもなぜ私たちは生存しているのか。これを考え始めると、まあ宇宙の始原とかに事が進むと思うのであるが、こういうことはフランクルやエーリッヒ・フロムはあまり語っていない(少なくとも自分が目に通した本に関しては)印象がある。この点において池田晶子の独自性が浮き立つ。

  

池田晶子はよく言っていることのひとつに、「悩むのは考えていないからだ」という格言がある。

考えれば考えるほど、思考の対象は今書いたように、自然界の壮大な物語へと繋がっていく。それに比べれば目の前にある形而下のことがいかに小さなことか。おそらくこのことを自覚して欲しいという思いで池田晶子はそのように書いていたのだなと、しみじみ思った。

  

『しぶとい十人の本屋』は、独立系本屋という括りではみな同じものの、本屋を始めた理由や仕事内容に微妙に違いがあることで、お互いに何か気づきが得られていく過程が読者に伝わってくる。

コロナ禍によって希薄になったコミュニケーションは、現在ではそれ自体で価値あるものだったと気づきつつある世の中であるが、そこに新しい発見というものが得られれば、より一層人間にとって良いことだと思えた。

  

本屋は言葉を扱う仕事である以上、やはりコミュニケーションを生み出す場所であってほしいと思っている。

つづく

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