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読書日記708

   マルキ・ド サド『ソドム百二十日』河出文庫(1991)

■株式会社河出書房新社

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日記

サディズムという言葉が生まれるきっかけとなったサドの本を読む。

学生の頃、「あいつはSだ」、「あいつはMだ」という言葉が流行っていた。

正直くだらないと思っていた。

分類したがる習性に。たいして言葉の意味を考えない習性に。

とにもかくにも、本当のSというものについて気になるところではあった。

・・・

物語を読み終えていないので今は言及できないが、「徳」について思うことはある。

20ページにこんな文がある。

”公爵は自分のあらゆる悪癖を合理化していたのであるが” P20

この「悪癖」に着目せずにはいられなかった。

何故、「自分のあらゆる癖を合理化していたのであるが」と言わないのか。

(原文を読んでいないので詳しく論じることはできないが)

前後の文脈から察するに、美徳の反対、「悪徳」こそが最も大事であるとサドは小説で書いている。

そこは伝わる。美徳は悪徳で、悪徳が本当の美徳なのだと。

だが、その習性が「悪い」ことを実は自覚しているのではないか。

でなければ「悪癖」であるとは書かないだろう。

そもそも徳に悪も善もないではないか。

徳はマイナスかプラスではなく、大か小ではないか。(またはゼロ)

言葉の絶対性を疑うべきではない。

疑うべきは価値判断が揺らぐ人間のほうである。

公開日2022/10/4

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