■株式会社講談社
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感想(少しだけネタバレあり)
・本書の概要(Amazonより)
“2022年「ブッカー国際賞」最終候補作!
かつて見たことのない世界が待ち受ける。
芸術選奨文部科学大臣新人賞・紫式部文学賞 ダブル受賞
<わたしたちは仲間です>――十四歳のある日、同級生からの苛めに耐える<僕>は、差出人不明の手紙を受け取る。苛められる者同士が育んだ密やかで無垢な関係はしかし、奇妙に変容していく。葛藤の末に選んだ世界で、僕が見たものとは。善悪や強弱といった価値観の根源を問い、圧倒的な反響を得た著者の新境地。”
・あらすじ(少しだけネタバレあり)
概要の通り、日々繰り返されるいじめに耐える14歳の<僕>は、コジマ(同級生の女の子)から手紙をもらう。コジマもまた日々のいじめに耐えていた。お互い似た境遇ということで意気投合。夏休みには一緒に美術館に行ったり、夏休みが終わったあとも手紙のやり取りをしたり、徐々にお互いの信頼が深まっていく。そこに悪魔のような、魔の手が忍び寄る、、、
・読んだ直後の感想
非常に、暗い気持ちで読み終わった。
「本書は想像力の大切さを訴えている」という陳腐な解釈は括弧に入れて、敢えて思ったことを率直に書くのであれば、端的に「これは狂気としか思えない」に尽きるのではないか。逆にそれ以外に何があるのか、という複雑な気分であった。
あまり気軽な気持ちで読むべき一冊ではないかもしれない。自分は『黄色い家』を読んでから、人間の描写が凄く丁寧だと感じ、この本に関するtwitter上のツイートを見て「本書を読むべきかもしれない」
と思って手に取ったが、『黄色い家』以上に無力感、虚無感に満ちていて、絶望的なまでの現実だけが目の前に映っていた。
・本書のテーマとなっている「善悪」について少しだけ
「不寛容に対して寛容であるべきか」という哲学的な問いがある。
答えは「ノー」である。「イエス」と思っている人は本書をすぐに読むべきである。逆に、「ノー」と思っている思っている人は正解だと思う。スペインのピサロを思い出せばいい。ピサロは原住民の寛容さに対して冷酷なまでに不寛容であった。その結果どうなったのかは歴史が答えを出している。
不寛容に対して寛容であるべきだという思想は秩序をもたらさない。今のところ世界が第三次世界大戦にまでは至っていないのは、核によってある程度の均衡がギリギリのところで保たれているからである。
この政治上の法則はミクロ(=個人)にも当てはまる。
いじめ(=不寛容)に対して寛容(=受け入れる)であることは、自らをどんどんと不自由に追い詰ていくに等しい。
プラトンは『国家』のなかで国防についていろいろ語っていたが、寛容であること自体に価値はない。
自らを不幸に陥れる選択肢は絶対に選ぶべきではない。無条件の寛容はあまりに脆弱である。
ネタバレになるので、書けるのはギリギリここまでかもしれない。
繰り返すが、本書は読んでいてあまり気持ちのいいものではないが、人間について考えるには避けて通れない問いを提出していることは確実だろう。
関連図書
『黄色い家』
(こちらのページに収録)