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日記
午前中に読書をし、終わったらそのままBOOK・OFFに直行。執行草舟氏の本を再読し始めた矢先に、『友よ』を発見するという奇跡が起きた。(現在、入手困難。Amazonの最低額は4000円+配達料となっている)
『友よ』は執行草舟氏が最初に出した本とされる。
デビュー作、というと語弊があるかもしれないが、最初の作品にはその人のすべてが詰まっていると自分は直感的に思ったので、少し状態が悪い本であったが購入することにした。
デカルト以降の、神の解体期に苦しむジョン・ダンにまつわる話やニーチェについて言及されるページなどを読んでみた。
執行草舟氏の父親の友人がニーチェをよく読んでいたということが書かれていた。
現代の人はどれだけニーチェを読んでいるか知らないが、昔の日本は割とニーチェが読まれていたのではないだろうか。そういう印象を抱いた。
落合陽一氏の父親も「ニーチェを読まない奴とは話せない」と言っていたらしい。落合氏も『忘れる読書』のなかでニーチェを語っていた。
ニーチェの道徳批判は激しいが、執行草舟氏は文献を読む限りニーチェが真面目な人間であったことを語る。
愛と憎悪が表裏一体のように、道徳への激しい批判は、道徳、つまりキリストへの激しい信仰のようなものがあったのかもしれない。
(テリー・イーグルトンは『文化と神の死』のなかで、宗教は道徳として形態を変えていると書いている。)
メモ
『人間的、あまりに人間的Ⅱ』
“誓い。ーー私は、書物をこしらえ上げようとしていたことが見てとれるような著者は、もう決して読むまい。そうではなく、その思索がはからずも書物となったような人たちだけを読むことにしよう。” P359
“独創的。ーー何か新しいものをはじめて見ることではなくて、古いもの、旧知のもの、誰もがこれまでに見てきたもの、あるいは見過ごしてきたものを新しいものであるかのように見ることが、ほんとうに独創的な頭脳を特徴づける所以である。最初の発見などは、通例、例の全くありふれた、そして才能のない空想家ーーすなわち偶然である。” P150
『友よ』
“ニーチェに信仰の血が深く流れていることを感ずる。” P267
『生命の理念1』
“実は、人間の脳は自分で考えているのではないのです。宇宙空間に考える存在がある。” P66
この『生命の理論1』における執行草舟氏の発言は非常に印象的であった。というのも、これは池田晶子とマルクス・ガブリエルも同様のことを語っていたからである。自由意志問題を限界にまで追求すればこのような境地に達するのかもしれない。3人の思想家(著述家)がこうも一致するのは珍しい。
『あたりまえなことばかり』
“「何のために生きるのか」という問いをよくよく考えますと、(・・・)この問いが問うているのは価値なんですね。” P120
自分はこの文章を眺めているとふと思った。
あらゆる問いの回答は「事実」または「価値」に還元されていくのではないだろうか。
ヒュームの法則的には、必ずどちらかの言明になるはずなのだ。
「何のために生きるのか」という問いは明らかに「事実」に関する問いではない。これは価値を問う問いであることは明白。
であるから、なんらかの「~べき」を前提とした答えが出てくる。すると「この問いが問うているのは価値なんですね」と語る池田晶子の論理が理解できる。面白い。
ヒュームの法則については名古屋大学出版会から出ている『進化倫理学入門』で多少かじった程度なので深いことは書けないし考えることも今はできないが、人が述べることは「事実」に関することか「価値」に関することのどちらかである、という仮説は面白い。今後試してみたいと思う。
つづく