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つづきをよみすすめた。
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日記
加藤典洋のいう「テクスト論」の輪郭はつかめた。
言葉の決定不可能性に関する問いの戦いである。
構造主義やポスト構造主義でなにが行われたのか細部まで分からないが、作品と作者の関係性について突き詰めた営みであることは間違いない。
本書の内容に則せば、前者は「作者の死」を明らかにする試み、後者は「主体の死」を明らかにする試みだとされる。
「作者の死」とは端的に言えば作品の中立性である。
この点に早く注目したのはロラン・バルトだという。
後者についてはまだ本書の読解がすすまないので言及は控えたい。
加藤典洋はこの営みを超えるものを書く時期だということで新たな「テクスト論」を掲げた。
大江健三郎氏が2000年に出した小説が、従来のポスト構造主義におけるテクスト論から回避できていると見たからだそうである。
・・・
意味の決定性について心のなかで唸りながら自分の頭で考えてみた。
最終的にはやはり科学の限界点と交差するように感じた。
文章には意図、動機、目的など様々な主観的要素が混入している。
その全ての説明の担い手は因果論であるようにみえる。
慣性の法則に従えば、物事の始まりは必ず別の運動を受けているはずである。
つまり、動機や意図の背後にはなんらかの物理的運動に還元されるのではないだろうか。
科学の限界と意味の決定可能性は一致しているように感じた。
いろいろ深いことを考えさせられる面白い本だなと思う。
公開日2022/10/18