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新・読書日記77

           池田晶子『人間自身 考えることに終わりなく』新潮社(2007)

■株式会社新潮社

公式HP:https://www.shinchosha.co.jp/

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       ニーチェ『人間的、あまりに人間的Ⅱ』ちくま学芸文庫(1994)

■株式会社筑摩書房

公式HP:https://www.chikumashobo.co.jp/

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            望月清文『生命 科学の忘れもの』水曜社(2023)

■株式会社水曜社

公式HP:https://suiyosha.hondana.jp/

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メモ

『人間自身 考えることに終わりなく』

“(・・・)法律はそれを「いけない」と言っているのであって、「悪い」と言っているのではない。” P136

 

“しかし判断の放棄とは、自由の放棄である。” P137

  

“人間が言葉を語っているのではなく、言葉が人間において語っているのだ。” P87

  

『人間的、あまりに人間的Ⅱ』

ドイツ散文の宝

・エッカーマン ゲーテとの対話

・リヒテンベルク 戯言集

・ユング シュティリング 自伝 第一巻

・アダルベルト シュティフター 晩夏

・ゴットフリート ケラー セルトヴィーラの人々

“そしてこれで当分は種切れであろう。” P352

 


日記

『生命 科学の忘れもの』

科学では説明のつかない話に入った。

古生物学が発見したのは、人間の文化は5万年前から発達し始めたということであった。その頃から道具が精密化し、洞窟には古代人による絵画なども発見されている。

しかしながら、DNAを分析しても5万年前に大きな変化があるとは言えない、という話であった。

ダーウィンの進化論の突然変異は、突発的に発生した生物種については説明がつかないというのが前回の話であった。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/06/16/%e6%96%b0%e3%83%bb%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%9876/

  

著者は言う。時間と空間の因果に則って考える科学ではこのことについて説明ができないのだという。

この謎を解明するにあたって参考になるのが「感性用語」だということであった。

「黄色い声」「明るい声」といった、五感に直結する言語表現は定量化不可能の現象の謎を解くカギとなる。

これは非常に興味深い。

  

・・・

これらの話はショーペンハウアーの言う「認識能力の二律背反」と通ずるものを感じた。

先祖を無限に遡っても生物でなければ矛盾が生じるという話であった。

  

プラトンは魂の不死を著書のなかで証明する試みを行った。

これも似たようなことで、動かないものからは動くものは生まれないので、必然的に、動くものの起源は動くもの、という哲学的な物語であった。

この点において彼らの考察は交差する。

このような話が語れられる本を探しているときに、偶然発見したので本書を手に取った。

グットタイミングであった。

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