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つづきをよみすすめた。
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日記
塵も積もれば山となる。
本書もいよいよ後半にさしかかり、425ページまでたどり着いた。
民主主義の章は幕を閉じ、執行草舟氏は芸術について語りだす。
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限りある時間のなかで、分厚い本の内容をどういう風に吸収していくのかが個人的な課題でもある。
手帳にメモをしながら読むのか。
いっきに読むのか。
重要な点だけをプロットし、読み終わってからプロットを頼りにまずは記憶を洗いざらいにし、整えていくということがベストだと考えている。
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民主主義については、それこそ語り尽くせないほどに多様な切り口がある。
ただ、本書は深堀はしないにせよ、一貫性のある論理構造を成しているように感じた。
民主主義は、西洋はキリスト教から、日本は氏族を始源としていることから、民主主義という言葉を使用する際には、厳密にはこの区分けができなければならない。
執行草舟氏はまずアメリカの例を引き合いに出し民主主義の原理を語る。
アメリカは銃社会が象徴しているように、自分の身は自分で守る独立精神、何事も「自己責任」の精神で国を発展させてきた。
しかしながら近代化以降、宗教の終焉、つまり「神の不在」という歴史的にみても特異な現象が世界を覆うことになる。
これが人間の深い場所における心理構造を変容させていった。
近代以前において、人々は義務の重要性を理解していた。当時の文学や思想書はほとんど権利ではなく義務について書かれていたと執行草舟氏は語る。
つまり、キリストという絶対神が人間の謙虚さを維持させていた。
ところが科学と産業が発達していくと信仰心が次第に薄れていく。
人々は神の不在とともに次第に義務を忘れ、資本主義にのまれていくことになる。
哲学者キルケゴールは『現代の批評』のなかで描いた未来の予測は的中したとされる。
「無と娯楽で埋め合わせる社会が来る。」
執行草舟氏は、ニヒリズムは消費、物質、金銭を神と崇める考えだと説明する。
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個人的に本書を咀嚼していくと、「自己責任」という概念は西洋と東洋では違うように思われる。
性質からして信仰心が前提となっているので、無神論者の多い日本における「自己責任」はまず西洋的ではないことは自明である。
執行草舟氏が言うように、実は現代は自己責任のない時代ということである。
とはいえこの点について疑問に思うのは当然である。
能力主義、メリトクラシーがいよいよ日本でも浸透しつつあると。
社会保障という観点、「生きていることそのものが素晴らしい」、「人生は幸福になるためにある」といった点から、無条件の「生の肯定」が背後にまずある。
アメリカは「自由か、死か」の精神から始まって今日のアメリカがあるわけである。
この無条件的な生の肯定が人々を「傲慢」にし、「権利」を主張するようになったのが現代社会と言える。
つまり、エゴイズムの勃興である。
民主主義はエゴイズムによって全体主義への向かう可能性が懸念される。
神の不在が発端として始まった虚無主義は「無気力社会」でもあるとキルケゴールはいう。
義務を忘却した人間は「娯楽」へと走り、オルテガのいう「向上心のない人間」がマジョリティーとなる社会、つまり「大衆化」が起きる。
この大衆化は歴史が示す通り、金融不安がファシズムを誘発するリスクを生むわけである。
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ここまでざっくりと書いてみて思うことはただひとつ。
政治を語るには相応の勉強をしなければならない。
勉強をしない人間は政治的な主張をしてはいけない。
謙虚さを失ってはならない。
公開日2022/10/22
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