■株式会社中央公論新社
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日記
今日は珍しく忙しい一日であった。
そのなかでも、少ない隙間時間を利用し移動時間は本書を読んだ。
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池田晶子のミシェル・フーコー、ジャック・デリダに対する痛烈な一撃を、場外ホームランのような痛快感を味わいながら読んだ。
まずフーコーに対しては、「神の死」というものを論じている貴方は神というものを、狂気に陥るその手前まで、死ぬ気で考えたことがあるのかと述べた。
世界はどこまでも戯れで決定不能と貴方は言うが、真剣に考えれば考えるほどニーチェですら狂気になるような事態のことを、貴方はただ「戯れ」というものを理屈でしか理解していない、と述べた。(意訳)
ジャック・デリダに対しては、やはりあの「プラトンのパルマケイアー」を引っ張り出して池田晶子は痛烈に批判していた。
デリダは書き言葉を端から信用していない。
ただ、プラトンはそれでも書き残しているという至極当たり前のことを、見事に誤読していると語る。
やや心のなかで唸りながらも、やはりホワイトヘッドに軍配が上がったように感じた。
彼いわく、現代の西洋哲学はプラトンの注釈にすぎないのである。
その通りではないだろうか。
いや、私のレベルではまだその通りだと信じたいという段階ではあるが、池田晶子の力はそこらのエセ知識人とは二歩、三歩先に行っているように感じる。
公開日2022/10/26