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読書日記789

     オトフリート・ヘッフェ『自由の哲学: カントの実践理性批判』法政大学出版局(2020)

■一般財団法人 法政大学出版局

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日記

人は意思をしたと自覚する前に、既に脳活動が行われている、ということを示した「リベット実験」というものがある。

これが極端に解釈されると「自由意思は存在しない」となる訳である。

本書ではそのことについて触れられている。

著者はカントがこのことを知ったところで、合法則性(自然の法則などが一定の法則にかなっていること)が揺らぐことはなく特段驚くことはないだろう、と述べている。

・・・

小坂井氏の本でも書かれているが、自由意思の存在を根底から覆すと人間の行動は全てが非自発的で、かつ決定論に従うということになる。

従って、法的な「自己責任」という概念そのものが消滅することになる。

単に頭で考えていることは全て「操作されている」ために、人間は有機的ロボットだといわんばかりである。

さて、実際どうなのか。

・・・

何事も、一旦はグラデーションで考えるべきである。

自由意思があるかないか、という二項対立は性質からして誤謬に過ぎない。

科学に関心の高かったカントがこのことを考えなかったとでもいうのだろうか。

裏を返せば、希望があったからこそ書き続けたとも解釈できる。

強制とまではいかないが、啓蒙とはそもそも自由に近づくための啓発であるはずである。

カントは道徳というものを非常に重視したとされているが、理想論としては全てが自立した人間で構成される国家は法律というものがほとんど要らないはずである。

全体から個へ、個から全体へ。

政治について考える前に解決すべき問題は倫理である。(つまり後者)

だからこそカントは理性というものの性質を掘り下げつづけたのだと感じている。

公開日2022/10/30

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