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読書日記806

    大澤真幸『〈自由〉の条件』講談社文芸文庫(2018)

■株式会社講談社

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日記

小坂井敏晶『責任という虚構』の議論がややこしくなったので一度時間をおくことにした。

そしてこちらの本を軽く読もうと考えた。

大澤真幸氏の書く本はほぼ全て読みにくいという私の直感はこちらの本でも当てはまってしまった。

・・・

議論は因果律から入る。

まず大澤氏はスピノザの答えを引っ張る。

スピノザは自由意思を錯覚のようなものだと結論付けた。

次にカントの力学的アンチノミーを引っ張り出す。

ざっくり言えば、「自由(意志)」はないこととあることが同時に真になり得るというものであった。

そこで数理哲学者マイケル・ダメット氏の思考実験を挿入した。

書くと長くなるので割愛。

端的に言えば、原因は結論に先行するという観念に根拠はない、という奇妙な結論であった。

この奇妙な結論を説明するべく、大澤氏はマクタガートの時間を引用する。

マクタガートによる時間の非現実性は以下の通りである。

(1a) 時間には、A系列(過去・現在・未来) による記述とB系列(より前・より後) による記述とがある。

(1b) 変化なしには時間はありえない。

(1c) A系列なしに時間はありえない。

(1d) A系列による記述は矛盾を含む。

(1e) A系列は実在しない( (1b) より。)

(1f) 時間は存在しない ( (1b)、(1c)、(1e)、より)。 

https://nainaiteiyan.hatenablog.com/entry/2021/08/14/115400
  

時間が実在するとすればA系列でなくてはならないが、変化に着目するとA系列は矛盾する。

マクタガートには当然反論が返ってきたが、思考実験を読む限り、屁理屈ではないことは伝わった。

・・・

結果的にさらにややこしくなってしまった。

もはや自由という問題は哲学へと投げ出され、責任と自由がどのようなバランスで成り立っているのかがますます不透明となってしまった。

公開日2022/11/3

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