■株式会社青土社
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つづきをよみすすめた。
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日記
前回ではソクラテスから始まった、「自己を知る」人文主義の系譜が20世紀哲学まで、すなわちサルトルの実存主義において、「実存主義は人文主義である」の発言からも分かる通り、ひとつなぎになっていることが語られた。
そしてその人文主義が今日の自己啓発の推進力となっている。
しかし、『疲労社会』において、(おそらく目標の)達成することの不可能性や、副次的なものについて問題提起がなされた。
・・・
「自己を作るべき」、「真正であるべき」といった自己啓発のメッセージは、広告やマーケティングによって、真正の「商品」を買うべきだと翻訳されてしまうことが語られた。
別言すれば、本来の問題提起であるべき「資本家による労働者の搾取」を、消費者の目から逸らせる、非常に合理的な手法である。
瞑想、ヨガ、マインドフルネスを筆頭とする「セルフケア・ソリューション」は、「テクノ解決主義」によって、その社会的背景(つまり、なぜ私たちはこれほどにも疲れているのか)を無視し、テクノロジーによって解決、封殺される。
現在のところ、そのテクノロジーはアプリやAIが担っている。
これらのテクノロジーを利用することは、データの提供を意味する。
かくして、自己啓発という活動そのものは結局のところ、資本家に利益を献上する以外にない、という構造が明るみになってきたというわけである。
・・・
賛否両論あるかもしれないが、私は概ね本書の筋を肯定的に捉えている。
ただ、だからといってテクノロジーを根底から批判することはナンセンスであることは承知である。
意識すべきは、本末転倒になる事態を避けることである。
前からこのブログで書いているように、例えば時間を買って電車やタクシーを利用すると「運動不足」というツケがまわってくる。今度は買った時間がジムなどで運動することによって失われる。こういう転倒が見受けられる。
そういった物事に目を向けるべきである。
公開日2022/11/22