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つづきをよみすすめた。(読書日記888,880に収録)
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日記
ホッブズのいう「自然状態」は歴史的事実に裏付けされたものなのか、それとも人間の本性に依拠するものなのか、その点がハッキリしていないとルソーは批判した。
そしてルソーは『言語起源論』のなかで、言語の起源から人間について考察を行った。
仲正氏によれば、結論としては言語の生成の瞬間までは解明しきれなかったとされる。
(言語が先か、観念が先か、結局は解明できなかった)
個人の解釈としては、その研究過程のなかで得られた知見がルソーの政治思想へ応用されているとみている。
・・・
ルソーはパロールからエクリチュールへの移行、すなわち書き言葉が発達していく過程を「進歩」と捉えている一方で、文明が悪の根源であるという見方もしている。
ルソーによれば、人間の「哀れみ(困っている人を助けたいという感情)」と自己愛(自己保存)は自然的な感情であり、これが秩序を生むとみている。
ところが社会の中では「自惚れ」という文明的感情が悪を生むと言及している。
ホッブズの「性悪説」に対してルソーが批判したのは、ホッブズが自然的感情と文明的感情を混在していたからだとされる。
・・・
社会の起源は土地の所有から始まったとルソーがみなし、以降は自由や権利の考察に入るがここはもう少し本書を読んでから感想を書きたい。
後者の本はスローターダイク関連の話が進む。
アカデミズムとジャーナリズムの関係性を大澤氏がうまく説明していた。
ハイデガーの講義を受けていた哲学者三木清(『哲学ノート』等の著者)は法政大学から追放されたように、戦前期はマルクス主義の隆盛とともにアカデミズムの人間がジャーナリズムへ流入したが、現在(2010年頃)はその逆のパターンが起きているとされる。
仲正氏が補足する形で、ドイツと日本の学術世界の違いを指摘。
ドイツは講義形式が少ないのが特徴だそうである。
ドイツでは読解能力、ライティング能力がより重視される。
日本の官僚やマスコミの知的優位性が教授らよりも高い場合があり、「客員教授」といったシステムがあることから(ドイツでは教授になるための論文を書かなければならない)、ジャーナリズムとアカデミズムの位置関係が大正時代と変わってきていることがみてとれた。
これはマルクス主義の衰退と重なるわけであるが(ネオリベ化とも重なって見える)、因果関係は不明なのであくまで相関性として、そういうことが言えるという認識で問題はなさそうである。
以上、言語と政治をめぐっていろいろと考えをめぐらせる午前であった。
公開日2023/1/6