こちらのつづきである。本日なんとか読みきった。
つづきをまとめながら、最後に感想を書いていく。
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戦後の経済は世界的に急成長をした。それは「経済の奇跡」と呼ばれた。
ドイツでは、エアハルトという人物が経済成長に導いたとされる。
しかし、著者は勘違いだと指摘する。
戦後の修復作業に途方もない需要があったこと。
経済発展がなされる基盤が既に存在していたこと。
金融市場がほとんど休眠状態にあったこと。
エアハルトは「競争」を正当化する。
“あらゆる福祉を達成し、確保するためのもっとも効果的な手段は競争である”P330
著者は、「経済の奇跡」は競争によってのみ説明することはできないと述べている。
“経済学博士号をもつエアハルトが「経済の奇跡は競争によってのみ説明できる」などと真面目に信じていたというのはシャレにもならない” P331
そして1960年代に、戦争の修復作業が終わりをむかえるとガタがくる。
再び経済の危機がおとずれる。金本位制であるブルトン・ウッズ通貨体制の構造的欠陥が明らかに。
これもケインズは予想していた。
為替相場の自由化に伴うリスクが明らかに。
1970年代、アメリカとイギリスでは高いインフレ率を記録。
ケインズいわく「経済の生産性よりも給料の方が強い勢いで上昇すればインフレが生じる危険がある。」
そして中央銀行が必然的に金利をあげ、経済が縮小⇒失業者増加となった。
新古典派は事実を直視せず、自由市場が全てを調整すると頑なに信じていた。
そして投機が加速していく。(投資と違い、投機は基本的にゼロサムゲームであり、誰かが得すると誰かが損する。)
しかしながら、中央銀行が国際的に連関していないため、投機行為があらゆる市場に影響を与えることになる。
ケインズはそれを理解していて、中央銀行の国際的共同体を構想していた。
フリードマンはまたしても新古典派と同じ勘違いをする。
「労働市場=野菜市場」とみなす誤りであった。
結局は、新古典派はまたしても「貨幣」の厳密な定義ができていない。そう著者は指摘する。
そして変動相場制が復活し、デリバティブ商品で「リスクヘッジ」させる手法で手数料を荒稼ぎ。アメリカの投資銀行が富を独占。
例えば物価が値上がりすれば人は嘆くが、不動産が値上がりすれば「増価」とみなすようになる。
こうして金融市場はバブル化していく。
著者によれば、現在も85%の経済学者は新古典派だという。
最後にこう助言する。
「それぞれの世代は、そのつど自分たち自身の経済学を発明しなければならない。」
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感想
この本を読むことで、経済の歴史を学ぶことができた。
つぎに僕がすべきことは、この本を中立的に俯瞰することである。
この本が書いてあることはどこまで正しいのか。そこが大事である。
本書ではスミス・マルクス・ケインズは古びた理論ではないことを強調している。
それは、今日の経済学者たちが現実離れした数学的理論に夢中になっていたり、現実を的確に捉えきれていない事実があるから、という見解からである。
この本の大方が正しいとすれば、僕は「社会貢献」の意味をもう一度考え直さなければならない。
お金を稼ぐ意味も変わるだろう。
富豪ランキングに常に入るウォーレンバフェットは、自分がアメリカに生まれなければその日暮らしをしていただろうと言っている。
つまり、富は環境に大きく左右されることになる。
そして、それは人間の社会的価値が個人の能力では決まらないほどに大きすぎることを決定づける。
ここでも僕は「努力」という言葉の無意味さ、虚構性を見出すのであった。
つづく
公開日2022-01-18