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執行草舟『生くる』講談社 (2010) 読了

           執行草舟『生くる』講談社(2010)

■株式会社講談社

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つづきをよみおえた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/07/05/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98904/

  

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感想

人生経験の浅い自分には理解できない箇所が数多くあった為、本書を吸収しきることはできなかったがむしろ読書とはそうであるべきだと感じる。

生命の燃焼という言葉は始終、岡本太郎の「芸術は爆発だ」という言葉と相似しているように感じた。

生命の燃焼を持続することは難しい。それはある側面では世界が物質主義になったからであるが、そんな程度のことで言い訳をしてはいけないということを教えてもらった。

・・・

本書は始終、運命を受け入れる態度を持ち続けることの大切さを説いていた。

運命は動くものであり、動くかぎり好転する時もあり悪化することもある。

運命に翻弄されるのは宿命を持っていない所以であることも理解できた。

運命は動的であるが宿命は不動である。

オリジナリティな人生というものを本書で考えさせられた。

信じること、考えること、志とは、飛躍とは、習慣とは、恨みとは、魂とは。

いっぺんに読みきったので全てを咀嚼しきることはできなかったが、自己を破壊することがまず大前提であると私は解釈した。

”考えるとはすべて、外部から来るものに対応する仕方を思考することを言う。” P316

おもうに、本当の自我は意識できるものではない。

オリジナリティは自我という名の地平線のようなものである。

掴もうとおもってもつかめるものではない。

たどり着こうと思ってもたどり着けるようなものではない。

地平線は光を媒介として認識される。

光を感知し、神経を媒介として知覚される。

全て自動的に、おのずから作動するプロセスであり、そこに意識が関与できる余地はない。

オリジナリティとは反応からでしか照射され得ないということを、なんとなくではあるが理解できた。

つまり、いったん余計なバイアス、余計な常識、疑念というものを括弧に入れ全てを受け入れることから始まる。

そこからどういう反応を見せるかじっくり観察する。

『サミング・アップ』の最後の項でモームが書いたことはこのことに近いのではないか。

公開日2023/1/15

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