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日記
まず小坂井氏は広辞苑から民族と人種の定義を引っ張る。
民族は言語や宗教など、文化的要素を基に同属意識を持つ意味合いがあるとする。
一方、人種とは分子生物学的な意味合い、すなわち鼻の形、頭髪、皮膚の色、身長といった身体的な要素を持つ意味合いがあるとされる。
小坂井氏は広辞苑の定義が間違っていることを、実証研究をもとに解明していく。
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小坂井氏は物事を突き詰めると「曖昧さ」「でたらめ」によって、つまりは「虚構」によって事が運んでいることを『責任という虚構』や『格差という虚構』などの本で次々と明るみに出している。本書に関しても、突き詰めることで民族と人種という概念は最終的に「虚構」であり、実はでたらめであることが明かされるものとなっている。
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読んでいくといろいろと考えさせられる。
ひとまず第一章を全部読み、55項までたどりついた。
今回の本は歴史や民俗学なども横断するため、素人としてはなかなか難しい内容であるように感じた。
28項には、ノルウェーの民族学者フレドリック・バルトは実証的な立場から、固有の文化内容を基に民族を規定する従来の発想を批判し、異なった民族として表象される複数の集団の間に引かれる境界線に目をむけるべきだと批判した、と書いてある。
彼は言語学者ソシュールの考え方と同様に、関係性や差異に着目したとされる。
小坂井氏は「範疇化」によって複数の集団が区別され、民族として把握されるようになると述べている。
この例は34項によって示されている。
コートジボワールにおけるベテという民族は、実際のところ、植民地形成の過程では様々な出身地の人たちが集まってきたとされる。
しかしながら、出稼ぎ労働で一定期間働き、ベテ地方に帰るということを繰り返すうちにベテ民族への帰属意識が強化される。
出稼ぎ先の都市は彼らよりも裕福であり、経済的な格差というものを痛感させられる。
その後外部からアフリカ人が流入し、競合関係になるとベテの人たちの間では仲間意識ができ、「外集団/内集団」の二項対立によってさらに同属意識が強化される。
ついには植民地行政によって、ベテは太古からこの地域に住んでいたという神話まで形成されたと小坂井氏は説明する。(細かい話は部分的に省略)
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心理学的にも、「紅組/白組」といった対立を敢えて設定すると仲間意識が自然と形成され、内集団をひいきするという、ある種の錯覚が生まれるとされる。
かくして、「虚構」というものが確認される。
今回は社会心理学というレンズから物事を見ていったわけであるが、レンズごとにまた違った見方ができることもある。
物事の多面性というものを再度考えさせられた。
つづく
公開日2023/1/24