■株式会社白水社
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日記
アランの正義論を読み込んだ。
しかしながら、言い回しがくどく、自身の読解力の無さ故に理解しかねる箇所が多かった。
売買における契約に関して、アランは情報の非対照性を批判し、また、契約は必ず曖昧な部分があってはならないと語る。
これは現実的にはかなり厳しいのではないだろか。否。不可能である。
どういう商品かが曖昧であればあるほど、それはソクラテス的な表現では「不正」に近いことになる。
しかしどうだろうか。情報量に対照性があるにせよ、開示する義務は一定程度ある。問題はその線引きである。何が望ましいのか、買い手側が自身で納得のいく回答を出せない場合、売り手の良心を信ずることでさえも不正に繋がるのだろうか。
現実には買い手と売り手の知識に差が大きく開くばかりである。
医療がその代表的な例だろう。そこで成されるべきは患者との、いわゆるインフォームド・コンセントを基盤としたコミュニケーションである。
普遍的に適用可能な、絶対的な指標に基づく判断はもはやないように見える。
・・・
『我が心は石にあらず』は150ページまで読み進めた。
労働組合に関する専門的なことが分からないので、この小説の肝心な部分は見逃してしまっている感じは否めないが、時折突き刺さるような登場人物の言葉を受け止めながら、最後まで読んでいきたい。
ここでエリック・ホッファーの言葉を再度引用したい。
「二十世紀最大の犯罪は資本家ではなく献身的な理想主義者であった」
「貧しい国が発展するには理想主義でなければならぬ」
この二つの言明はある意味矛盾している。
この言明を字義的に解釈すれば、ある貧しい国に理想主義者がいなければ発展はしない。しかし発展するには犯罪的な理想主義者が国のなかで要請される。
歴史をふりかえれば、スペイン人によるインカ帝国支配、英米によるアメリカのインディアン支配、奴隷貿易等、経済の発展には常に「不正」が存在していた。
ホッファーはそれを鑑みたうえでの発言なのだろうか。
高橋和巳の葛藤は、不正を受容しなければ豊かになれないという矛盾にあるのではないだろうか。
不合理ゆえに我信ず、これはやはり真理か。
公開日2023/2/26