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その他数冊
つづきをよみすすめた。
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日記
『事の次第』はあまりにも不可解な小説であった。
モーリス・ブランショはこの小説に対して「この声は何だろう」と問い、「おそらくは万人の声だ」と述べたが、いろいろと思うところではあった。
こんなもの小説ではない。三島由紀夫は芸術である限り伝統に則したフォルムが無ければならないことを述べていた。芸術に対してはなんでもあり、自由の国フランスか。
・・・
執行草舟氏の本を久しぶりに読んだ。
埴谷雄高の「質問の悪魔」に対して、「なんでも理屈が分かりたいという心理である」と説明された。
執行草舟氏はファウストを読んで分かったときに「面白さも何もかも崩れ去った」感覚を覚えたと語った。
自分は「質問の悪魔」になぞらえて「理屈の悪魔」とメモを残した。
もうひとつ書き写した。
“文学とは、いかに生きるべきか、またいかに死ぬべきかの不断の問いを読む者に課するものを言う。” P279(『脱人間論』)
三島由紀夫文学は、茨城大学の学生にはこのことが伝わらなかったと思われた。
学生はいう、「あなたの小説を読みますと、何となく心情的で、ただ自分の観念の中での美というものを非常に追求する。だが人間の生活の中で最も問題となるものはやはり現実なんであって、自分の意識する現実というものがどういうものであるのか、それを観念と現実との闘いの中で打破するのが、人間の創造ということだろうと僕は思うのです」
学生は三島由紀夫文学が多面的ではなく狭い、単一的なものだとそのあと述べたが、三島由紀夫はその考え方も単一的であって、単一的なものが重なって文化というものが多面的になる、と述べた。
このあたりはいろいろと考えさせられた。
・・・
『美学イデオロギー』では、道徳のパラドックスを考えさせられた。
道徳感情には何らかの普遍的な感情があるように思われるが、時代によって道徳は変容する。
しかし感情の原理自体は可変的ではなく不変的であるはずだ。
これにはトリックアートの無限に上れる(ように見える)階段を思わせた。
実体はあり得ないが形式的(フォルムとしては)には存在している。
この虚構性が実は社会の矛盾を支えているのではないか、そのように思われた。
“徳の思想は虚構であるが、商業社会を成立、存続させるために不可欠な虚構である。現代の用語を使ってそれを「イデオロギー」と呼ぶことができる。” P40 (『美学イデオロギー』)
次に味覚と共通感覚としての「道徳感情」が語られたがこのあたりは後日感想を書き残す。
つづく
公開日2023/3/19