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読書日記970

    酒井健『モーツァルトの至高性: 音楽に架かるバタイユの思想』青土社(2022)

■株式会社青土社

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日記

「美は人を沈黙させるとはよく言われるが」の箇所でひとつ思い出す、それはヴィトゲンシュタインが述べた「語り得ぬものには沈黙せよ」という言葉であった。

「美 ≒ 語り得ぬもの」

と考えても特段違和感がない。

また、「音を正当に語りうるものは音しかない」というくだりは音楽哲学の本を軽く読んだあとに一層自分のなかで明確な意味を持ちつつあった。

バタイユはそんな美について「人は、論を推し進めるやり方では、内奥性を表現することはできない」と語っているのもうなずける。

美を研究したところで何になるのだろうかと問わざるを得ない。

しかしそれでも美について考えることは面白くもあるので、これは見事に罠にかかっているということなのだろうか。

そして埴谷雄高の「質問の悪魔」の意味が少し分かりつつある。

文学作品は、逆説的なことを踏まえれば、理解しようとしながら読まない方がいいということになる。

哲学書も逆説的には、奥の深いところではこの理屈が通用するのかもしれない。

すると解釈の仕方というものについても考えざるを得なくなる。

文学研究には罠が至るところに存在している。

それは例えるならば、リンゴがなぜ赤いのかという問いに対して「光がどうのこうの」と言っているのであって、なぜリンゴは赤「であるのか」までは説明できないことに似ている。

公開日2023/3/24

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