■株式会社人文書院
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その他数冊
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メモ
“書くとは、自由を欲する一つの仕方である” P72 (『文学とは何か』)
“自由とは、それによって人が自己を離れ、自己を解放することをやめない運動以外の何ものでもない。” P75 (『文学とは何か』)
「安易な表現の自由」
“嫉妬と悪意にがんじがらめのそんな姿のどこが自由だというのか” P99 (『私とは何か』)
“言語がもつ崇高な力を最大限に利用したのがロマン主義文学である” P227 (『美学イデオロギー』)
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日記
私=脳
この見解に対して池田晶子は、「○○は脳に良い」と語られるあらゆる表現が「○○は私(貴方)に良い」と語られないことにあると語る。
このことをじっくり考えてみても池田晶子の主張は正しいと思われた。
便宜的に<私>を<脳>とするにせよ、やはり「脳に良い」という表現には違和感を感じざるを得なかった。
やはり言葉が正しく使用されていないということなのだろうか。
言葉について深く理解を深めたいと思ったのでしばらくプラトン全集を読むことに決めた。
テリー・イーグルトンも『文学とは何か』を書いているが、訳者によれば元々のタイトルは『文学理論』であるとされる。
なぜ書くのか、なんのために書くのか、たしかにイーグルトンのそれでは語られていなかった。ただひたすら構造主義に始まる言語思想の内容をまとめる本であったと記憶している。
端的にサルトルの語りは奥が深いと感じた。
ただ書いて給料を貰って暮らす。哲学者はそんなことだけで満足できるはずはない。
現実社会に対して言葉はいかなる役割を果たすのか、あるいは果たさせるのか。自由とは何か。
非常に深い内容であった。
『美学イデオロギー』のなかでは、商業社会が人間の欲望を暴走させることへのストッパーとして教育を施す必要性があり、その教育は主に芸術、文学が役割を果たすという18世紀の思想家たちの考えなどが語られた。
今日は多面的に言葉について考えた一日であったが今後も考えを先に進めたい。
公開日2023/3/29