■株式会社牧野出版
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日記
こちらは前から気になっていた本であった。
いっきに100ページほど読み進めた。
本書の全体的な問題意識は「ネオリベ」における文学部及び教養に対する攻撃へのアンチテーゼ(反対の意見)である。
そして『図書館長の本棚』において語られた「公共性への軽視」を徹底的に掘り下げるものである。
・・・
著者は図書館法の本質から追っていかなければ今日を取り巻く図書館の状況を理解できないとし、日本におけるGHQ統治時代の図書館運営にまで遡った。
著者がいうには、「図書館法」によって市町村に図書館が普及していったとされる常識に真っ向から批判する。そんな事実はない、と。
それを検証するためにこれでもか、というほどに著者は延々と考察していく。
ざっくりと100ページまでの内容を要約する。
著者はまず、GHQの目的を「軍国時代の教育施策を一掃すること」にあったと指摘。
民主化に向かっていくなかで図書館はその中心とはならず、始めは「公民館」が担うことになったと述べた。
“GHQにとって、日本の図書館関係者たちは、成人教育を任せるべき存在ではなく、教育映画を見せる対象だったのである” P48
GHQは図書館の重要性について十分に理解していたが、当時の日本国民の知的水準を鑑み、「教育映画」による文化国家の建設が目指されたと書いてあった。
公民館はその映画を観る場所として機能したとされる。
1950年に図書館法が制定される前に、1949年に社会教育法が制定される。社会教育法によって「公民館」が社会教育を担うようになったことを著者は読み取る。
佃一可という人物はこの社会教育法というものが「公民館の設置法としか読めない」と述べたとされる。
図書館がなぜ市町村に広がったのか。
どういう思想のもとで広がったのか。
「本は心の栄養である」「教養はビジネスマンに大事である」
だからといって税金を投入してまでなぜ図書館を運営しなければならないのか。
たしかにその問いかけは教育現場では弱い。
日本国民は、とくに若い世代はその本当の理由を、歴史的観点から知っているようには思えない。
おそらく専門教育を受けた人以外はほとんど触れない問題である。
今まであまり深く考えたことがなかったので本書は「公共性」について、あるいは「すぐには役に立たない知識」の意義というものを広い視野で考える材料を提供してくれるものだと感じている。
つづく
公開日2023/4/28