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読書日記1013

      シェルリ・ミサック『プラグマティズムの歩き方 上巻』勁草書房 (2019)

■株式会社勁草書房

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その他数冊

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日記

今日はいつもより長い時間書店にこもった。

様々な本を立ち読みしつつも書店に悪いので数冊購入した。

人文知が軽視されている風潮とはいえ、青土社、水声社、作品社、人文書院、みすず書房、白水社、法政大学出版局といった学術系の新刊書の勢いはまだまだあるように思われた。

今日は2日ということで、4月末に出版された本が多く並んでいるように感じた。

・・・

『パンとサーカス』は350ページまで読み進んだ。

いよいよ終盤ということで、結末が気になるところである。

多少政治について考えさせられる部分もあった。

まず一点目として、本書ではたびたび「自発的従属」という言葉が出てくる。このことについて考えさせられるものがあった。

今では多少状況は変わっているかもしれないが、東京大学法学部は官僚の養成所といったイメージを持つ人は少なくない。

人それぞれであるが、日本の政治に対してなんらかの問題意識を持たないまま大学をする人は少ないはずである。

「国を良くしたい」といった若い人が持つ「情熱」を定年まで維持することは容易ではないはずだ。

本当の批判精神があれば官僚、つまり「体制側」にわざわざつくというのは、どうなのか。個人的にはこの「自発的従属」に近いように思われた。

これは本当に人それぞれであるので一概には言えないが、「官僚養成所」というイメージの裏には、「東大法学部は従順な人が少なくない」ということも言えるのではないだろうか。

これは良い意味か悪い意味か複雑で分かりかねるが、教育の矛盾を見せつけられている気がするのであった。

必死に社会を、世界を勉強をしたつもりであってもその親元、つまり「体制側」に向かうというのはこの「親」の思惑に見事に引っ掛かっているという見方もできなくはない。

二点目を書こうとしたがここまで書いて忘れてしまった。

・・・

教育は政治と密接に結び付いている。

利害を超越できるような、確固とした道徳の理論を教育は提出できるだろうか。

単なる資格のための勉強や、受験勉強、ただ大卒の資格をもらうためだけの勉強を越えた、何が真理であって何が善悪の基準となり得るかといった、人間の根源に迫るような、かつ真の意味で経済全体、政治全体へと還元できるようなサイクルを生み出せるような生産システム、教育システムの在り方、構築方法を本当に真剣に考えている教育者は今日どれほどいるのだろうか。

・・・

パースとは違い、デューイは真理の「発生」説を支持したとされる。

“真理は発見されるのではなくてむしろ生み出されるのであり、静的なものでなくむしろ進化するものである。” (『プラグマティズムの歩き方 上巻』P268)

しかしこれは絶対主義を間接的に拒絶する考え方だ。

池田晶子は形而上的なことを考え過ぎたあまり、ついにはヘーゲル『精神現象学』の口語訳や教育に対する体系的な記述にまでは至らなかった。

あくまで言葉の絶対性を世に伝える仕事に徹した。

個人的には、なんでもありになってしまいかねない相対主義には疑問を持ちつづけている。

ひとまず『パンとサーカス』をさくっと読み終わらせたい。

公開日2023/5/2

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