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日記
『文學の実効』では帰納法と演繹法について語られた。
『矛盾と創造』においては、帰納法は論証不可能な方法であると科学哲学者の村上陽一郎氏が述べていたことが紹介されていた。
結論としては『文學の実効』の話と一致していた。
『ニュー・アトランティス』などで知られる、中世イングランドの哲学者フランシス・ベーコンは、演繹法よりも帰納法が知識の土台であると考えた。
しかし『矛盾と創造』においても言及されていたとおり、帰納法は事象を無限に広い集めなければならないので全知全能でない限り不可能である。
しかし演繹法と組み合わせることによって現代の実証主義に繋がった。
(帰納法⇒演繹法⇒実験)
経験なくして推論は成り立ち得ない。
しかし経験だけ無闇に積んでいて演繹(=推論)せずには「検証」ができない。
このバランスについて本書からいろいろと考えさせられた。
・・・
『矛盾と創造』では「平均値」に関する錯覚について語られた。
一般に、オランダ人と日本人では平均身長に約10cmの差があると言われている。
小坂井氏は「集団のデータの多様性」に着目し、平均にとらわれることで見逃してしまうと述べる。
“A、Bというカテゴリーが作られるとAB間の差異が誇張されると同時にAとB各内部の多様性が見逃される。” P72
平均値はオランダ人のほうが高いからといって、最大値がオランダ人で最小値が日本であることを意味しはしない。
(オランダ人のなかで最も身長が高い人が、日本人のなかで最も身長の高い人よりも高いとは断言できない。平均値だけでは分からないからである。)
しかし「感覚的」にはそのように考えてしまうこともある。
推論は正しく(といっても厳密には難しいが)行われなければならないことを思わせられた。
バイアスをどこまで落とせるか。研究者だけでなく、あらゆる生活で使える考え方であると感じた。
・・・
ある程度読み終わったあと、また本屋で立ち読みした。
『なぜ少子高齢化は止められないのか』を再度立ち読み。立ち読みなので結論だけざっくりと広い読みしたが、どうやら経済を成長させなければならないという話に落ち着いているようであった。
winny事件も再度立ち読みした。広い読み程度ではあるが、どうやら自白させる日本の司法制度に問題があるようである。
海外からは、日本の司法制度は中世並みだとみられているらしい。
次に行政と矛盾に関する新刊書も少し立ち読みした。
例えば経済成長で物事を解決しようとすれば、winny事件のような司法の足枷を取り除かないといけないと考えてみた。
しかし経済成長だけを考えれば地球をひたすら破壊することを肯定してしまう。
成長と技術力と地球へのダメージが反比例すれば良いのかもしれないが、「経済成長」という言葉はあまりにも抽象的すぎる。
真面目にこれを考えるとなると、考えるべき事は無限大だ。
演繹力が求められているという理解で良いのだろうか。
公開日2023/5/23