■株式会社 みすず書房
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感想
頭では分かっていてもうまく言葉にできない。一見単純である「幸せ」という言葉はあまりにも曖昧であり、それこそ千差万別で、一人一人定義が無数にあるこの「幸せ」という言葉の裏側を、この本は見事にただの言葉で、しかも体系的に記述し通したことによって、読み終えた時には自分のわだかまりが一掃された気分になった。
以下、個人的な新しい発見を書いていきたい。
まず一点目として、ランドルフ・F・ネシーの『なぜ心はこんなに脆いのか:不安や抑うつの進化心理学』において問いかけられた「抑うつ気分はなんの役に立つのか?」に対する答えのひとつが本書『ハッピークラシー』において提示されたことによって、文学と科学が「抑うつ ≒ 不幸」という点で交差することになった。
本書の178ページではポジティブな感情の「負の側面」とネガティブな感情の「正(プラス)の側面」が科学的にある程度明らかになっていることが書かれている。
“タンとフォーガスは「幸せな気分は悲しい気分に比べて、公共の場でも実験の場でも。独裁者ゲームにおいて資源を配分する際に利己的行動を促す」ことを示した。” P178
著者は、ポジティブさが、心理的にも社会的にも「常に」「どんな環境でも」有益であるとは限らないと述べる。
この引用文はポジティブな感情が先行することによって客観的な共感パフォーマンスが低下することのひとつの例である。
ネガティブな感情のプラスの面に関しては、本書ではトーマス・マン『ブッデンブローク家の人々』のなかの登場人物、トーマスが「最高の世界がどういうものかわれわれは知り得ないのだがら、われわれは想像できる最高の世界に住んでいるのか問うことだ」と語ったことが引用された。
ネガティブな感情になると人は物事をいろいろと問う傾向に傾くことを、少なくとも自分は経験から感じている。
つまり「抑うつ気分はなんのやくに立つのか?」に対する答えのひとつとしては、「普段は気づけないような問いかけを行うきっかけを抑うつ気分は与えてれる」と言うことができる。
ちなみに『ハッピークラシー』のなかでは、ネガティブな感情は「生きるために必要」と書かれている。
・・・
140ページ以降の批判対象は、過剰な「幸せ」が溢れるなか、そこに潜むリスクに対してであった。
そのリスクとは「幸せの自己目的化」である。
人間は何かをしたことによって「幸せ」になるはずが、「幸せ」になることにフォーカスされることによって「幸せになるために○○ができたから幸せだ」という、トートロジーに陥ることが警鐘された。
これが政治的にも負の力学が働く可能性があることも指摘された。
あらゆる複雑な政治的対立が、ポジティブ心理学的な「幸せ」による手法によってその本質が覆い隠されたまま解決に至ってしまいかねない。
ある意味、これは麻薬的な力をも秘めている。
表面的な解決は根本的な治療とはなり得ない。
自己啓発、ポジティブ心理学、ビジネス、アカデミズムのなかで「幸せ」という、一見科学的な装いで現れた「イデオロギー」がいまのアメリカを覆っている。それに気づかずにいると自分で自分の幸せを管理するようになってしまい、自分で自分を「監視」することになりかねない(自己監視化)という著者のメッセージがよく伝わる一冊であった。
公開日2023/5/30