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日記
第三章「荒野を生んだ都市工学」の終わりまで読みおわった。
宮台氏は街づくりにおいては「民主主義は癌」であるとのべた。
自分なりに咀嚼した。
宮台氏は、マイケル・アリアスという映画監督が吉祥寺や下北沢を好んだ理由を掘り下げる。
続けて宮台氏は、人がアメニティ(心地よさ・快適性)を感じる街の条件を「ブロックが小さい」街だと説明する。
「自動車スケール」「自転車スケール」「歩行者スケール」と区別され、吉祥寺や下北沢は10メートル歩けば景色が変わるという「歩行者スケール」の条件を満たしているので「人に好かれ」やすく、ゆえに「人が集まる街」であると説明された。
そして『クルマを捨ててこそ地方は甦る』(PHP新書)を書いた藤井氏も同じ意見を持っており二人は共鳴する。
しかし街という観点から日本をどう復活させるか、という処方箋には考えに違いが見受けられたが、その内容は難しく、専門的なので割愛。
例えば藤井氏は消費税を一時的に凍結することを提案したが、宮台氏は安易に凍結することを良しとせず、慎重な姿勢を見せた。
・・・
自分は新入社員の頃、まだ行ったことのない東京の街をよく歩いていた。
新小岩から舞浜まで歩いたこともあった。
東京駅から豊洲まで歩いたり、『耳をすませば』で有名の聖蹟桜ヶ丘や、水元公園周辺、田園調布周辺など、まだまだ行っていない場所が多いながらもいろいろな東京の町を散歩した。
その経験を踏まえていえば、たしかにほとんどの東京は10メートル歩いたところで景色はあまり変わらない。錦糸町は下町と言われるが、直線的な道路が多く、味気ないものを感じた記憶はある。
そもそも、当時はあまり意識していなかったが、クルマが常にとなりで走っているというのは当たり前で宮台氏の言う「微熱の街」という感じは全くない。
宮台氏の本を読まない人でも「微熱の街」は『14歳からの社会学』の冒頭にある、中野駅の写真を見れば想像ができる。大人も子供も夕方になれば道のど真ん中で遊んでいる風景だ。
人が集まらないのは「アフォーダンス」の概念からもある程度説明できるように思われた。
宮台氏によるアフォーダンスの定義は「事物にコールされて、自動的にレスポンスが生じること」となっている。
人間の心理的には、人が集まっている場所を見れば気になるものである。(野次馬といわれてしまうが)
『14歳からの社会学』で映し出された昔の中野駅のように、人が家に閉じこもらず大人も子供も外でなにかを興じている「開放的な空間」は人が呼び込まれやすく活発的に、逆に「閉鎖された空間」は人が集まりにくく、衰退してしまう「原理」のようなものは少なからず人間の心理に潜んでいるということではないだろうか。
・・・
宮台氏はデュルケームの言葉を引用する。
「(社会)契約の契約以前的な前提を考察すべき」である、と。
つまり問うべきは「民主主義の民主主義以前的な前提とはなにか」であり、それは換言すれば「どんな文化が社会を存続可能にするか」という問いにもなる。
それは前回にも書いた、ルソーの「ピティエ」、つまり他者への共感能力、想像力が必要であるということであった。
アダム・スミスも「見えざる手」が機能するには道徳的な感情が必要であると説く。
街づくりにおいて「民主主義は癌」というのは、議論の全体像を理解するのが一日では難しくなかなか見えてこないが、文脈的に推察するならば、宮台氏らは日本の民主主義がもう機能していないと見ているので、「民主主義以前的な前提」がない(≒ピティエの喪失)ので、その状況で民意に任せた都市設計は必然的に「衰退」を招かざるを得ない。だからその処方箋をこの本で真剣に考えているということなのだろうな、と自分に言い聞かせた。
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今の力では毎日2000文字を書くのはなかなかしんどいので一旦ここでストップしたい。
公開日2023/6/28