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つづきをよみおえた。(読書日記1066に収録)
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感想
神学的な、あるいは宗教社会学的な思考法の重要性について再度意識させられた。
藤井氏による以下の説明、民主主義の制度はキリスト教から生まれていて、その事実を軽視した末路が今の日本でもある、という内容は何も疑問には思わなかった。
なぜか。
ヴォルター・ベンヤミンの言語哲学について触れた自分は、翻訳の不完全性について考えさせられたからである。
責任は英語で [ responsibility ] となっているが、語源をたどっていけば「応答」を意味する [ respond ] や [ response ] と無関係ではないようである。
また、「~できる」を意味する [ -bility ] とくっつくことによって「応答可能=責任」という図式も見えてくる。
この図式は戦後ドイツの在り方に反映されている。
宮台氏はヴァイツゼッカーの演説のなかで、「責任」とは「私たちは何がだめだったのか」と「問い続けること、暴き続けること」、すなわち「清算」ではなく「持続」的な概念だということを語った。すなわち常に「応答可能」である、つまり「私たちは○○がだめだったから今○○している=応答可能」ということを常に言えるかどうかが本来の「責任」という言葉の意味だとした。
言語の語源にまで遡ることによって納得でき、翻訳がずれるとどうなるかを意識させられた。
角度がわずかにずれれば出発点から少し離れただけではあまり差は生まれないが、長距離になれば位置に相当な差が出てくる。
それと同じように、少しだけ訳し方が変われば全体としては大きく差が生まれてしまう可能性がある。ベンヤミンは言語と伝達可能性についてそういった問題意識を持っていたとされる。
言葉が変われば世界の見え方も変わる。
虹が何色に見えるかは言語にある程度依存する。
従って、民主主義の制度が西洋と同じように日本でも機能していると安易に考えるのはむしろ恐ろしいことである。
本書ではそのような話を神学レベルから展開されるので、なかなかに奥の深い本であった。
小室直樹が何回も「エートス」という概念を自分の本で持ち出していたが、やはり人間の行動原理は心理学などでは絶対に説明できないと改めて感じた。
言語の観点、宗教的な観点、歴史的な観点、地理的な観点、民族性的な観点、経済的な観点。
経済学はこの前提をある程度無視して人間の行動を合理的に見てきたわけであるが、いかに実態と離れているか、ある程度は素人でも分かる。行動経済学は経済学に心理学の知見をミックスしたものとされ、現代経済学のひとつの潮流であるが、果たして本当に役に立つのか。素人でも多少の疑問は湧いてくるものである。
・・・
どう生きるか。
本書ではニヒリズムの定義として「価値の空洞化」と説明された。
それはつまり、信念(=ひとつの価値体系)がないということに尽きる。
宮台氏の言う「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシーン」の意味も本書である程度理解が深まった。
信念がないとアガンベンのいう「剥き出しの生=ゾーエー」、つまり「ただ単に生きている」状態になる。
それは三大欲求にただ従う「有機体としてのマシーン=言葉の自動機械」になるということである。
哲学者アランは価値について、「価値とは勇気である」と述べたが、勇気についてはプラトンでいえば「徳」となる。
トートロジーとなるが、アランもまた「勇気とは恐れに勝つ徳」と述べ、「あらゆる徳は価値である」と述べている。
これを図式化すれば、
A=B
B=C
C=A
となってしまい、循環構造に陥ってしまうが、徳はなんの役に立つのか?という問いかけが大事のように思われた。
人間がただの有機体としてのロボットであるならば、なぜそもそも人間は自分の生の意味を問いかけるのか。
ここには既に矛盾があり、だからニヒリズムが生まれるわけであるが、人間とはやはり矛盾を秘め、だからこそ人間であると思わされる。
保守思想家によく参照されるエドマンド・バークが美と崇高についていろいろと書き残しカントが改良を加えたが、今思えば美学という学問が今もなお存続しているのは倫理と神学をセットで考えたカントの存在意義がますます高まっているからではないかとすら思えた。
・・・
人間よりも人間的なAIが生まれてくる可能性について最後の章で語られた。
AIよりも人間らしさのない人間とは。
AIは自ら価値の体系を築けるか。自分はそうは思えなかった。
日本が沈むかどうか関係なく、自分は自分にできることをこれからもしていきたい。
人間だけが合理性を越えた「普遍的な価値」に接近する能力を持ち、その命令は自分自身の「意志の力」によって与えることのできる「定言命法」を人間だけが持つからである。
公開日2023/6/29