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読書日記1080

サミュエル・テイラー・コウルリッジ『文学的自叙伝:文学者としての我が人生と意見の伝記的素描』法政大学出版局 (2013)

■一般財団法人 法政大学出版局

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          岸間卓蔵『救済の文学』田畑書店 (2019)

■株式会社田畑書店

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その他数冊

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日記

昨日読み終わった『ホモ・デウス』の内容は、主知主義(意志よりも知性に優位を置く立場)寄りであったと思う。

これは「理性=知性」に対する過剰な期待でもある。

啓蒙主義は結果的に第二次世界大戦を招き野蛮状態を生み出した。

今こそ『啓蒙の弁証法』を再読すべきかもしれない。

人間が中心というのは、これは地球が中心と考えた天動説の発想に近い。

宇宙の中心が人間と本気で思っている人間が、本当にいるのだろうか。

自分はやはりサイエンス・ノンフィクションを読むたびに科学万能主義に対する懐疑が強くなる性質を持っているようである。

ハラリ氏のいう「テクノ宗教=データ至上主義」は、形態を変えた宗教である。

キリスト教は今日、どこまで機能しているのだろうか?

アメリカ人は今日、どこまで神の目を気にしているのだろうか?

・・・

宗教は確実に世界に対して今もなお影響を与えつづけている。

アメリカを建国したのは「予定説」を掲げたカルヴァンを源流とするピューリタンたちだ。

しかし日本人である自分にはいまいちピンとこない。

救済とは何か。

本書を読むと、「救済」という視点から文学史を俯瞰すると世界がどう見えるのかがわずかに見えてくる。

文学には自然主義、ロマン主義などいくつかのフォルムがあるが、これもどうやら歴史的な流れによって必然的に生まれたものであるみたいだ。

文学史というジャンルはあまり好きではないが、ハラリ氏の影響もあってか、改めて、人間の根源に迫る文学を読むことはテクノ宗教に対するひとつの抵抗であると自分には思えた。

コウルリッジは『美学イデオロギー』を読んで知った人物である。

グローバリゼーションのあらゆる問題を美学の観点から考えるひとつの材料となり得る。

併せてフィルムアート社の『ラディカント』も読んでみたいと思う。

文学至上主義者とまでは言わぬとも、文学の力について考えさせられる『私はゼブラ』も再読すべきかもしれない。

つづく

公開日2023/7/15

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