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読書日記1088

             庄野潤三『自分の羽根』講談社学芸文庫 (2006)

■株式会社講談社

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日記

『自分の羽根』の「文学を志す人々へ」を電車のなかで読んだ。

森鴎外が勤め人をしながら書き続けたことはよく知られている。

庄野潤三はこのことについて、あの鴎外でさえも睡眠時間を削って書いていたのだから、私たちはそれ以上に努力しなければならない、というようなことを語っていた。

何も言えない。正論過ぎる。

モームは「文学とは芸術である」とハッキリ書いていた。

また、読書は楽しくなければならないということも書いていた。

ゲーテの『ヴィルへルム・マイスター』がモームの知人に受けが悪く、あまりにも退屈であることで「騙されたと思って読んでみてほしい」とモームが説得していた件が印象的であった。

また、知識人(=批評家・評論家)について、彼らがやりがちな作品の哲学上の意味や時代背景を分析することは全く芸術と関係がない、彼らはずれていると、いったモームの主張も印象的であった。

モームは、ベストセラーはすぐに読まなくても問題ないと語る。

『消去』は時間をかけて120項までたどり着いた。

物語に波はないが、微妙に語られる内容が変形してきている。

このような形式は確かに始めてである。

ところがどっこいで、では読んでいて楽しいライトノベルは芸術なのか、芸術でなければ何故そうなのかという問いが残る。

このような問いは分析美学と呼ばれる分野が担当しているみたいだが、個人的にあまり興味が持てなかった。

つづく

公開日2023/7/24

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