■株式会社藤原書店
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その他数冊
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メモ
学生時代のポール・ヴァレリーに影響を与えた人物
・ユイスマンス (1848-1907)
ヴァレリーは夏休みにユイスマンスの『さかしま』を読んで熱狂
・フールマン(1869-1940)
ヴァレリーの同級生。ヴァレリーの詩を批判し、良き友であった
・ゴーチェ (1811-1872)
詩人。「芸術のための芸術」を唱える
・マラルメ(1842-1898)
詩人。若き日のヴァレリーの詩を認めた。
・ピエール・ルイス (1870-1925)
大学時代に知り合う。アンドレ・ジッドの友人であった。
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・想像力の力
“悲しさを逃れる最良の手段は想像力のなかにある” P65 (『ポール・ヴァレリー1871-1945』)
・兵役時代に夢中になった本
ランボー『イリュミナシオン』
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日記
『ポール・ヴァレリー1871-1945』を100項まで読み終えた。
一年間のきつい兵役に苦しみながらも、偶然の連鎖によって様々な人物と交流した、充実した学生時代について書かれていた。
なかでも印象的であったのは、ヴァレリーが膨大な詩、散文詩、小説を日々書いていたことであった。
ヴァレリーは法学部にいながらも、文学に強い関心を抱いていた。
将来の進路について葛藤が書かれていた。
感受性豊かなヴァレリーは世の中の不条理をもろに受けていた。
バカロレアに合格し、キャリアを積みながら安定して暮らせる条件は整っていた。しかしヴァレリーは「サラリーマンは死人も同然だ」と考えていた。
“冒険とともに安全を、彼方とともに快適さを欲しがる。唖然とするほどの一連の逆説がごちゃまぜになったすべてを欲しがる。” P82(『ポール・ヴァレリー1871-1945』)
100項までは様々な人物との交流について割かれていたためこの葛藤をいかに切り裂いていったのかは後ほど分かってくると思われる。
・・・
『文学の再生へ』は野間氏の強い好奇心について書かれていた。
「全体小説」というものが今日の日本でどれほど受容されてるか、また、どれほどの需要があるか分かりかねるが、自分も日々体系的な小説像を模索する日々である。
そのためには時には書物の外へ行かなければならない。
しかし日々の執筆も同時に遂行しなければならない。
文学は単なる消費の対象であってはならないが、消費なしに成立し得るものなのだろうか。
小説家は売れなければ生計が成り立たない。
しかし、売れる本を大量に生産すると今度は消費されるための作品となる。
商業主義における文学作品の立ち位置は、先程のヴァレリーと同様に逆説の狭間にいる。
安定か、冒険か。
しかし、肌感覚として、安定している人間の作品を読みたいとは今はあまり思えないのである。
公開日2023/8/1