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哲学JAMシリーズをすべて読み終えた。
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感想
白版は宗教、正義論、憲法、マルクス経済学、MMT理論、啓蒙主義、文学と多岐にわたる範囲の講義が展開され頭に入りきれないほど重厚な内容であった。白版だけは300ページ弱と、やや分厚い。
どのページも濃密な話が展開されたが、とくに印象的だったのは宗教と哲学の違いに関する仲正氏の話であった。
どちらも人生の悩みに対してある程度の回答を与えるのがこの両者の類似するところではある。幸福を追求する点でも、例えば哲学者ラッセルやアランが『幸福論』というタイトルの本(岩波文庫など)を書いていることからも両者は類似しているようにも見える。
しかし決定的な違いは、哲学はどこまでも問いを続けるが、宗教は答えを持っているという点にある。
宗教は難問について考える場合、最後は「信じる」ことで問いを解決する。
しかし哲学というものは問いつづけ、ハッキリと回答を出さずに考えつづける。
仲正氏によれば、ある程度の回答は提出するが基本的にはどこまでも問いをつづけるのだという。むしろそれが楽しいからできるのかもしれない。池田晶子も同じことを書いている。
・・・
後半は宗教の権威が失墜したことによって実存主義というものが登場したのかもしれないという、興味深い話も語られた。仲正氏によれば、実存主義は神を前提としているようではあるが、キルケゴールの頃にはもはや自分で自分を意味付けするしかなくなったとされる。(宗教の個人化)
宗教が機能しなくなり人生の意味付けが希薄となった。人々はもがき、自我というものを再度規定しなければニヒリズムが待ち受けている。主体性とはなにか。文学とはなにか。サルトルのテーマであった。
サルトルの他にもラカン、ソシュール、バルトなど様々な思想家が言語のレベルから深い考察を行った。
しかしジャック・デリダの登場によって、人間は言語の制約がある為に物事をゼロから規定することはできないことが示唆された。
とはいえ、裏を返すと人間は言語という共有物があるゆえに価値(あるいは価値観)というものも一定程度共有可能である、という見方もできる。この見方が共同体主義と親和性があることを仲正氏は語った。
仲正氏によれば、宗教は一回衰退したが、再度宗教への関心が高まってきたという。
(日本は別として)
現代においても宗教というものは戦争と平和のバランスをある程度支えるものとなるのかもしれない。
西洋は宗教戦争を幾度となく繰り返してきたので、政治と宗教の距離感は日本よりも優れているのは間違いない。日本が学ぶべきは、宗教との距離感であるのかもしれない。
・・・
いろいろな識者が言っているが、もはや世界は予測不可能である。
ここまで複雑化すれば無理もない。陰謀論者は再度この不可能性について考えなければならない。世の中をコントロールできるほど知能が優れた人間はもはや誰もいない。
公開日2023/9/10