■株式会社光文社
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日記
『格差という虚構』のストーリーがなんとなく浮かびあがってきたように思われた。
「責任」は社会がつくったものであり、「格差」も社会がつくったものである、というメッセージである。善いことなのか悪いことなのかは分からない。
悪い面としては、どんなに頑張っても全体的、統計的には遺伝や環境のような「偶然性」には勝てないというメッセージになるかもしれない。
善い面としては、その構造を「自覚」することによって、例えば今までの自分を振り返るときに違った視点で物を考えることができるようになれる、という面だと思われた。
「自己責任」という言葉は都合のいい言葉である。2000年代は派遣社員に対してよく使われた言葉だったように思う。雇い手は派遣社員が便利で使いやすい雇用形態のため、リーマンショックで不景気になったとき「お荷物」になった彼らは「自己責任だから」と言って、ポイ捨てまではいかないまでも、あっさりとクビを切った。
いろんな人がいろんな場所で「自己責任だから」と言っていたように思う。それくらい便利な言葉であることに間違いはない。
今日は能力の遺伝説と環境説についていろいろと読み進めた。
結論としては、倫理的に研究できない面がある(例えば双子を強制的に分離させるなどの人体実験まがいの研究が必要になる)ので実際に決着をつけるのは不可能ということであった。
環境で説明できないことは遺伝として説明され、遺伝として説明できないことは環境で説明されるという、ある種の限界である。
読んでいて面白かったが、本書で具体的に説明される研究内容とその結果を追うのが非常に疲れ、今日はもうこれ以上読むのはやめた。
・・・
『判断力批判』は岩波文庫でも読んでいたが途中で挫折してしまった。『道徳形而上学の基礎づけ』は光文社古典新訳文庫で読み通せたので、今回は『判断力批判』を光文社で読もうと決めた。
カントのいう自由概念と自然概念が、『道徳形而上学の基礎づけ』を読んだことによってスッキリ理解できたので、今回はもう少し進めそうな予感がしたので満足感でいっぱいである。
しかし序論だけで100ページあり、まだ60ページしか読めていない。なんという長さなのか。
・・・
面白いと思ったのは、判断力を「道徳法則」と結びつけてカントが論じているところにあった。つまりカント的には倫理学(=自由に関する法則)と美学は繋がっている。
実際、倫理と美の狭間について論じられている本もある。
『読むことのワイルド・カード』は読んでいて自分なりの課題を見出した。
あくまで趣味として楽しむ程度にとどめたいが、
・言語行為論
・ラッセルのパラドックス
・ダブルバインド
・自己言及性
この4つは非常に関連性の高いトピックで、もう少し読み込めばなにか掴めそうな予感がするのであった。
ポール・ド・マンのように、分析哲学や現代思想にまで広げていくと話がややこしくなって訳がわからないが、哲学書や文学をいろいろと読んで物事を関連づけて「本と本を繋ぐ」ことで見えてくるものがあると信じている。(さきほど丁度「倫理」と「美学」が交差したように)
読書は面白い!!!
公開日2023/10/13