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ピーター・シンガー『動物の解放』
“いまでは、幸運な肉牛でも自由に歩きまわれるのは最初の六か月間だけで、その後「仕上げ」のために駆り集められる。” P178
仕上げ・・・出荷できるコンディション(体重など)にもっていくこと
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『教育学のパトス論的転回』
“「たとえ啓蒙に抵抗する勢力がどんな神話を持ち出してきたとしても、その神話は、すでに対立にあたって論拠として使われているということによって、じつは自分が啓蒙に対して非難している当の破壊的合理性の原理への、信仰を告白していることになる」” P4
単なる二項対立図式に回収されないために、どんな問いかけが必要か
・複数の原理を導入する
“それゆえ、求められるのは(・・・)「にもかかわらず」そのつど啓蒙の弁証法の「外」に出ることはかなわなくとも、そして啓蒙の弁証法を「祈りとして」生きる態度である。” P37
啓蒙の弁証法の本質
”啓蒙は、ロゴスの自己展開であるが、この運動は。パトスに力を得て、パトスを消尽する。運動としての啓蒙は、状況へ応える人間の根源的な受苦的情熱的存在様態であるパトスをすり減らし、道具化され物象化された人間存在が織りなす「技術的合理性」の蔓延や「官僚制」の制覇へとたどりつく。啓蒙の運動は、さらなる啓蒙へと進展するのではなく、むしろ野蛮へと頽落するのである。「啓蒙の弁証法」である。啓蒙の弁証法の帰結は、パトスの消尽と非人間化である。” P54
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アマルティア・セン『合理性と自由』
“自由という観念が時として価値、選好、理由から離れて定式化されることがあるとしても、ある人が選好していること、選好する理由があることについてのなんらかの観念なくしては、自由を十分に見定めることはできないのである。(・・・)要するに、理性に基づく精査という意味での合理性は自由という観念とその評価にとって中心的なものにならざるをえないのである。” P5
“(・・・)そもそも自己利益のみを配慮すべきなのかどうか(もしそうだとしてもどの程度か)を考慮する自由をもたないということは合理性の深刻な限界なのである。” P7