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マーク・トウェイン『人間とは何か』岩波文庫 (1973) 読了

マーク・トウェイン『人間とは何か』岩波文庫 (1973) 読了

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感想

途中までは同じようなくだりばかりで退屈であったが、最終章の「本能と思想」及び「結論」は読んでいて面白いと感じた。

カール・ジンマー『「生きている」とはどういうことか』と似たようなくだりもあった。

細菌はまるで意志を持っているかのように、数式を使わなくとも最短距離を発見して餌へとたどり着いたという話があった。

文字を使わない昆虫は、ときには馬鹿な行動を見せるが、それは人間の思い込みであって、彼らは優れた知覚能力、認識能力を持っていることが少なくない。蜂やクモは幾何学的な巣を創造する。単に人間が研究しきれていないだけで、言語と同等か、あるいはそれをも超える意志伝達行為を行っている可能性すらある。

老人は最後まで自由意志を否定したが、変わった否定の仕方であった。老人は決定論には依拠しながらも、人間は能力的には動物や虫より優れているが、機械という点では変わりがないと考えている点であった。

アナロジーのくだりも面白いと感じた。老人は [ 元素 ⇒ 物質 ] と [ 感情 ⇒ 気質≒性格 ] が対応している点に言及した。

水素と酸素で水になるように、怒りと愛が結合すると憎悪になる。

しかし水素と酸素がただ一緒にいるだけでは水にはならない。調べてみたが、熱と触媒が必要とされる。

感情も同じで、ただ怒りと愛があるだけではすぐに憎悪になったりはしない。

それを冷静に理性がとらえ、認知の歪みを自覚すれば憎悪を防ぐことができる。つまり化学反応と同じように、生成の条件というものが存在する。

それでも、これらの一連の物語を知って生きるのと、何も知らないので生きるのとでは違う人生になると自分は思う。

このブログの文章も書かれることは決定論的には決まっていて、全知全能の神には知られているのか?

決定論と安易に片付けるのはナンセンスだ。何故なら全ては結果論だからだ。

自由意志の不毛な側面を自分は拒絶する。

公開日2023/11/2

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