閉じる

読書日記1214

        A・J・エイヤー『言語・真理・論理』ちくま学芸文庫 (2022)

■株式会社筑摩書房

公式HP:https://www.chikumashobo.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/ChikumaShinsho?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

その他数冊

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日記

金曜日ということもあってか、読書中に意識が3回吹っ飛んだ。

いつもは意識を飛ばしながらもページは飛ばさなかったが、今日は気がついたら本が落ちていた。

そのあとは頭がスッキリしたので読書が進んだ。

無理して読書を強行して、結局寝ていてはカフェに行く意味がない。本末転倒にならないように気をつけたい。

・・・

『言語・真理・論理』を読み進めた。

エイヤーは「人間の感覚には限界がある。従って完全に存在の分析が可能になるまで哲学者は待たねばならない」という主張に対して「それは誤りである」とした。

“しかしこれは完全なあやまりである。物質的事物の存在を信ずる権利を人に与えるのは、単に、人がある感覚を持っているという事実だけなのである。” P46 (『言語・真理・論理』)

手帳の11月3日(金)のページに「検証可能」のメモが残っていた。

再度復習。

エイヤーは強い意味での「検証可能」と弱い意味での「検証可能」を分けた。

前者は経験において決定的に確立される場合、後者はその命題が経験のなかで「ありそうなもの」として扱われる場合、であるとした。

エイヤーは経験というものにいかに依拠しているかを再認識。

・・・

『確立と曖昧性の哲学』をじっくり読み進めた。

読むスピードは遅いが、塵も積もれば100ページの気持ちでゆっくり読む。

今日は「ソラティーズ・パラドックス」について学びを得た。

一ノ瀬氏は一酸化炭素中毒に陥った過去を語った。

5分後には意識が戻り、吐き気が残っていたという。

一ノ瀬氏はこの経験を哲学的な問題と繋げた。

一酸化炭素を吸い始めて0.001秒後はさすがに意識はあっただろうと一ノ瀬氏は踏んだ。

だから0.002秒後も意識はあっただろうと推測される。

これを続けていくと例えば1分後にも意識はあったかもしれない、という推測が立つ。

境界線が見えないため、これを続けていくと意識はずっとあったことになってしまう。

この逆バージョンを考える。

3分後には意識はなかったことは確実だ。

であれば、そのときの0.001秒前も意識はなかったはずだ。

これを繰り返すと、今度はずっと意識がなかったことになってしまう。

つまり、一酸化炭素を吸い始めて0.001後でも意識はなかったという推測が成り立ち、先ほどの推測、0.001秒後は意識はあっただろう、という推測と矛盾する。

この問題は倫理とも関係があるとされる。

時間が関係する倫理問題にはこのパラドックスがつきまとう。

一ノ瀬氏は中絶問題と死刑廃止論を挙げた。

これについて論じるときに「パラコンシステント論理」という論理が持ち出されるという。

先ほどのパラドックスは妥当ではないと考える論理のことをパラコンシステントと呼ぶ、と書かれていた。

他にも「ラムジー・テスト」「トリヴィアリティ結果」といった、初めて目にする用語がいろいろと出てきた。このあたりは明日以降読んでいきたい。

つづく

公開日2023/12/1

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

© 2024 ラボ読書梟 | WordPress テーマ: CrestaProject の Annina Free