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読書日記1242

       ミゲル・デ・ウナムーノ『アベル・サンチェス』幻戯書房(2019)

■株式会社幻戯書房

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その他数冊

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日記

メモ

『アベル・サンチェス』

”復讐……、復讐……のなんと甘美なことか!凍りついた心臓にはかくも温かいもの!” P104 (『アベル・サンチェス』)

“彼女は単に虚栄心の美しい容れ物に過ぎない……。” P104 (『アベル・サンチェス』)

・・・

『考える日々 全編』

“道徳と倫理との違いとは、単純明快、強制と自由との違いである。” P59 (『考える日々 全編』)

“「生きなければならないではないか」と言うとき、その「ねばならない」は、誰が誰に課している強制なのか。自分が生きることを誰かの強制のように思う人生が、なぜ幸福であり得るのだろうか。” P57 (『考える日々 全編』)

・・・

Abemaで観たヴィーガンの動画の違和感が残り、もう少し考えた。

ヴィーガンは、家畜の苦痛、苦悩というものに目を向け、誰よりもその動物たちに感情移入をする。「痛みを分かってほしい。この痛みはなくさなければならない」

自分も自身の良心のなかでその主張に同意する。

田村淳はヴィーガン主張の仕方には同意できないと言っていた。

自分も同意する。

敢えてサンタの格好をしてチキンが売っているお店の前に立ってなにかを主張する、というのは、これから楽しく食事を楽しみたい人にとっては迷惑かもしれない。

建設的な議論とは何か?

あの動画には何が足りなかったか?

池田晶子の本を読んで多少のヒントを得た気がした。

世の中は道徳と倫理が対立しているように自分には思えた。

地球上の人間が皆、カントのような人間ばかりであればこのような問題は起きないかもしれない。

それは理想論にすぎない。

だから妥協案としての政治哲学が生まれる。

だから「道徳vs倫理」の対立が生まれる。

・・・

ヴィーガンの根底には功利主義に近いものがある。

「意識ある生き物の苦痛は最小限に抑えなければならない」

ヴィーガンが昆虫やミミズに注意を向けないのはこの原理による。

だから「昆虫も生き物じゃないんですか?」とヴィーガンに問うのはナンセンスである。

つまり、ファシリテーターはヴィーガンの行動原理を、もっと的を射た質問であぶり出し、それを議論の場にいる全員に共有するべきだったのかもしれない。

「前提の共有」

これが建設的な議論に求められる最低限の条件である。

これを整理すると、議論の混乱、錯綜の根本的な原因は「前提の共有」の欠如である。

今日自分が考えた、自分なりのファシリテーター論であった。

つづく

公開日2023/12/27

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