■株式会社 みすず書房
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その他数冊
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日記
『未来から来た男 ジョン・フォン・ノイマン』
メモ
“コペンハーゲン解釈によると、量子が実際に”何「である」か”は語っておらず、語っているのは”何がわかりうるか”だけだ。” P54 (『未来から来た男 ジョン・フォン・ノイマン』)
“実は今では広く知られているとおり、量子論は特殊相対性を破ってはいない。量子もつれ状態にある粒子のペアの一方を測定しても、他方の状態に直接は影響しない。2個のあいだには相関があるだけで、因果的なつながりはないのだ。(・・・)光よりも速くメッセージを送ることはできない。” P66 (『未来から来た男 ジョン・フォン・ノイマン』)
・・・
『こころは体につられて 上』
メモ
“反言語としてのフランス語、ゆえにブランショの小説がある……” P157 (『こころは体につられて 上』)
“文学は諸芸術のひとつだろうか?(サルトルのエッセイを読む)” P158 (『こころは体につられて 上』)
” [ パウル・] クレーとヴァレリーの対比 理論と実践” P79 (『こころは体につられて 上』)
” [ マルセル・] デュシャン:芸術としてではなく、哲学的立場としての既製品” P80 (『こころは体につられて 上』)
“存命の重鎮作家四人:ナボコフ、ボルヘス、ベケット、ジュネ” P193 (『こころは体につられて 上』)
寸鉄詞=エピグラム=簡潔で機知のある主張を行う短い詞
機知・・・とっさに働く鋭い知恵
・・・
大江健三郎は、情報が加速して交差する現代社会は「文学の言葉」が足りないということを語っていた。
自分は端的に疑問を抱いた。昨日感じたことが消化されきらず、違和感が残った。
一度頭を整理した。
政治には政治の言葉がある。
文学には文学の言葉がある。
航空業界には航空業界の言葉がある。
警察には警察の言葉がある。
いわゆる業界用語と呼ばれる後者ものと前者のアカデミックな言葉は、言葉がそれぞれの領域に「属している」という意味においては等しい。
であるならば、昨日読んだ大江健三郎の言葉を自分なりに咀嚼すれば、それは文学という界隈に属する言葉が現代社会に足りない、という意味として解釈できる。
大江健三郎がどう思ってその言葉を語ったのかは厳密には分からないが、自分はそう捉えた。
では、と。
文学の言葉とはなんぞや、となる。
美しい言葉、と言えば分かりやすい。そういうものだと自分は考えた。
美しい公式は世界をシンプルに、そつなく表現する。
そういうものが文学にも求められているのかもしれない。
つまり、複雑怪奇な人間社会を表す公式のような、シンプルで真実を多く含んだ言葉である、
ではどういうものか。
自分は考えた。
シンプルで真実を多く含む言葉はいかにして生まれるか。
辞書には言葉の定義がなされている。
しかし、シンプルとは言いがたい。
それは図書館で例えるならば、本が膨大にあって情報が統合されていない(=つまり関数のような式として、情報のつながりがないということ)状態と似ている。
図書館は辞書のように、膨大な知識はあるが、それぞれの本がいかにして繋がっているかまでは教えてくれない。
もう少し具体的に書く。
言葉の定義は別の言葉によってなされる。
知識もまた似たようなもので、論文には先行研究の引用がなされるように、既に分かっていること、その体系化された知識( ≒ 本 )が別の仮説と結び付き合い、新たな仮説が生まれる。(=新たな定義がなされる)
その作業の担い手が文学者であるとするばらば、昨日読んだ大江健三郎の言葉に納得がいく。
シンプルで美しい言葉。
自分は文学という営みがそういう作業であるならば、尽力したい。
公開日2023/12/31