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その他数冊
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日記
今日はカフェで15分ぐらい意識が飛んでしまった。さすがに脳疲労かと思ってしまったが、そのあとは若干頭がスッキリした。しかし昨日の読書時間の40%程度しか読めなかった。
フローベールはしばらく通勤時間と隙間時間を利用してちまちまと読んでいきたい。塵も積もれば600ページ。
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『人が人を罰するということ』
170項弱まで読みすすんだ。
今日は小坂井氏の『責任という虚構』への反論手前まで読みすすんだ。
今日は「犯人とは何か」を哲学的な知見も少し取り入れながら「主体=行為を行う人間」と「責任」の関係性について整理した。
犯人とは行為者である。しかし選択の自由がない場合(ミルグラムの服従実験の例など)、自由の概念の消滅とともに主体の概念も消え、責任の概念も消える。
自由と責任はよくセットで語られる。
小泉純一郎氏の「自己責任」という言葉は、「自由」に生きることのできる人生があることの裏返しとして、個人個人にそれぞれ自身の人生に対する「責任」を負う義務がある、といった意味合いであった。
しかし、自由をめぐっては、様々な観点から、本当に人は自由に行為しているのか?と本書では問題提起がなされる。
本書では数十年虐待された末に妻を殺害してしまう例(小説のなかの物語)が紹介された。
この男性には選択する自由はあったのか?つまり、殺害することを回避できる余地、自由はあったのか?
これが極端な例になれば精神鑑定などが行われる。
この制度は、「責任ー自由」のセットが必ずしも当てはまらないことの裏付けでもあると言える。
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流行りの(?)リベット実験と自由意志について本書でも語られた。
手を動かそうと思う前に、既に神経の方は活動していた、という実験結果が得られた実験である。
結論から言えば、自由意志はないかもしれないが、自由に「拒否」する余地は残されている。
細かいことを書くと長くなるので、再度簡潔に強調すると、手を動かそうと思ったとき以前に既に活動している神経の活動を「止める余地はある」ということは確実である。
しかし、その「止める」という行為は何に起因するのか?という問いは残されたままであった。
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このあたりを通過し、次に小坂井氏の「責任=虚構」の論理を整理したあと「さあ、反論してみよう」というところで今日はいったんストップ。
全体的な感想としては、この著者は非常に文章が読みやすいという点につきる。
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ひとまず、明日にそなえて今日は早めに寝たい。
つづく