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読書日記1264

      高崎将平『そうしないことはありえたか?自由論入門』青土社 (2022)

■株式会社青土社

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その他数冊

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日記

メモ

『クレーの日記』

“民主主義というものは、中途半端な教養しか持たないものだから、せっせとキッチュを養い育てる。芸術家の力は、精神的であるべきだ。多数派の力はしかし物質的だ。ふたつの世界がぶつかり合うところには、偶然が支配する。スイスという国では、国民が正直になって、芸術を法律で禁じるべきだ。最高権力者たちが芸術の世界に足を踏み入れたことなどないのだから、ここの人たちは半分野蛮人だ。そして大衆は支配者たちを信じる。公の場で主張できる芸術家たちがいないからだ。まだ九九九人のキッチュ芸術家たちが、依頼人の餌で飼い慣らされている。” P202

『小説の読み方、書き方、訳し方』

メモ

(高橋源一郎)

“僕自身は文学に、というか小説に「本当」を望みます。そのように書きもします。しかし、それが、作品の中で、実現できるとは思いません。「本当」の看板を掲げた「嘘」でいいのです。極端なことを言うとそれは一種のショウです。でもフィクションは非常に高度なショウであるべきです。” P72

『そうしないことはありえたか?』

少数派ながらも、物理学者になかに量子力学の標準的な解釈(非決定性)から「多世界解釈」なる理論で決定論を支持する人たちがいるらしい。

世界は複数存在する、といったタイトルの本をみかけたことがある。今度立ち読みしてみようと思う。

・・・

「自由についてそんなに考える意味ある?」

普通の人ならそう思うかもしれない。

どれだけ自由について考えても、現実は変わらない。好きな場所に行きたいときは行けるし、行きたくなければ行かない選択肢はある。

著者はその考えだと裁判で詭弁を許してしまうという問題を提起する。

「自由意志がなく、もともとこうなることは決まっていたので無罪です」

被告人が無差別殺人を行った場合、こんな主張が許されるはずはない。

山口尚氏の本のとおり、自由意志を認めないという主張は選択、主体、責任、自由、応報などの概念を破棄することになり、すべてが無になる。

自由という概念は人と人とのコミュニケーションというフレームワークのなかで絶対的に必要な概念である。

もう少し掘り下げたいと思ったので読んでみることにした。

つづく

公開日2024/1/15

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