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読書日記1273

              スタンダール『赤と黒 上』岩波文庫 (1958)

■株式会社岩波書店

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日記

木曜日は集中力が低下することを実感。

『赤と黒』を読んでいると意識が飛んでしまう。次は絶対に飛ばさないと決意し、足に謎の力を入れてみるがやはり4回くらい、全てダメであった。

もう今日は無理だと思い、メモを残し、『そうしないことはありえたか?』を少し読んでからあとは今日考えたことだけを書き残そうと思うに至る。

・・・

『原郷の森』

“生前、三島さんから耳にタコができるほど、創造と礼節の交差する交点に霊性が生起する。そこが芸術の核だ。それを実践すれば、地に属する作品ではなく、天に属する作品が生まれると、何度も説明されてきた。” P99

“澁澤の言う通りだよ。第一、美術と文学はその存在の仕方に於いて分離している。” P109

”美を語ったり、美に触れることはナンセンス化している。美術館は破壊すべきだ。意味がない” P126

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『そうしないことはありえたか?』

150ページ弱まで読み終えた。

ここまで精読してきたが、まだ全体像があまりパッとしない。解像度があまりない状態である。

決定論的世界観のパラドックスのようなものが自分の中で抜けきれていない。

自由がないと断定するならば、主体、責任、選択という概念は消滅する。

(こちらの本の理路に沿うならば)

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/08/03/%e5%b1%b1%e5%8f%a3%e5%b0%9a%e3%80%8e%e4%ba%ba%e3%81%8c%e4%ba%ba%e3%82%92%e7%bd%b0%e3%81%99%e3%82%8b%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8%e3%83%bc%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%a8%e8%b2%ac%e4%bb%bb/

   

殺人狂は生まれる瞬間からそうなるように運命づけられていた。

博愛主義者ならば言うだろう。これ以上の苦しみを犯人に負わせていいのか、と。

いや、問題は刑罰だけではない。

責任という概念が消滅すると「契約」という概念も消えるように思われる。

通常は契約を違反すると法的措置がとられ、何らかの処罰を受ける義務が発生する。

ところが責任など存在しないから、全てが無効になる。というよりも、原理的に「契約」という行為すら行うことができない。

風呂の中で思考実験をした。

「明日から何してもいいですよ~、責任という概念は無くなりましたので」となり、何をしても刑事事件にはならないとする。

しかし。

これは裏を返すと、「国家」なるものも何をしてもいいことになる。

物事はなにもかも決まっている。責任という概念は存在しない。じゃあ集団であっても同じことが言える。組織も何をしてもいい。

つまり、とんでもないカオスな世界が待ち受けている。

日本中の生産活動が著しく低下し、壮絶な貧困が待ち受けているだろう。

そうなると、結局のところまた歴史が戻る気がしてならない。

だから責任という概念を放棄すべきではないという主張は説得力が強い。

ということで、集中力が回復したらつづきを読みたい。

つづく

公開日2024/1/25

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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