■株式会社筑摩書房
公式HP:https://www.chikumashobo.co.jp/
公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/ChikumaShinsho?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
その他数冊
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
メモ
“散文は舞踊ではない。散文は歩む。そしてその歩み、あるいは歩み方によって、その所属する種族が判明する。頭に荷物をのせて運ぶ、あの住民にふさわしい均衡のように。” P187-188 『ぼく自身あるいは困難な存在』
“今ではデカルトが誤りを犯していることを知っているが、それでもぼくらはデカルトを読む。つまり存在しつづけるのは言葉なのであり、しかもそれは、その言葉が内包するある存在と、その言葉が永遠化させるある肉体のおかげなのだ。” P191 『ぼく自身あるいは困難な存在』
“人間は書物を読むのではなく、読むことで自分自身を読む。同じように、彼は絵画を観るのではなく、その絵画を観ることで自分自身を観るのだ。” P208 『ぼく自身あるいは困難な存在』
・・・
『世界史が苦手な娘に宗教史を教えたら東大に合格した』
メモ
アウグスティヌス⇒最初はマニ教徒。
マニ教⇒ペルシアで生まれた宗教。ゾロアスター教がもと。
「ツァラトゥストラ」=ゾロアスター教
アウグスティヌスは肉欲に負ける⇒マニ教は間違っていたと考えた⇒やがてキリスト教に改宗。
マニ教・・・善悪二元論に依拠。(この世には善の神と悪の神が存在する)
・・・
キリスト教と仏教は共通点が多い。
“17世紀のイギリスで「王権神授説」が唱えられるようになり、王としての権力は神によって与えられたものだとなるけれど、そのもとはここにある。しかも、教会や修道院には王や貴族から多くの土地が寄進されるようになった。荘園だ。これは日本でも同じで、中世の時代には、規模の大きな寺院や神社に土地が寄進され、それが寺院や神社の経済を支えるようになった。ヨーロッパにおけるキリスト教の歴史と日本の歴史は、この点でもよく似ている。” P166-167
“独身の聖職者がいるのはキリスト教と仏教だけで、他の宗教にはそうした存在はいない。” P167
執行草舟「騎士道 ≒ 武士道」
日本=仏教+神道
日本が先進国となった原因のひとつには宗教的な力があったのではないか?
仮説としては面白い。
・・・
1日の振り返り
宗教の話は少しずつ理解すればいい。
理解しきれるほど単純でもないが、単純ではないからこそ様々な分野・領域に影響を与えていることは間違いない。
プロットを少しずつ記録していけばいい。
気がついたら座標軸に関数として浮かび上がってくるだろう。
塵も積もれば関数。
・・・
宗教を完全に否定する人間の帰結は「超合理主義」で相場が決まっている。
リチャード・ドーキンスがその典型である。
『さらば、神よ:科学こそが道を作る』という本を書いているくらいだ。
帰り道、絶対的に正しいことはない、というテーゼについて先へ進めて考えてみた。
『そうしないことはありえたか?』を読んで自分はヒントを得た。
世の中、物事は無限に分割されるのではないだろうか、ということが頭に浮かんだ。
例で示す。
まず平等について。
格差と平等はセットでよく語られる。
問題の原因は「何の不平等か?」と問う。
環境は平等ではない。遺伝子も然り。
格差には環境と遺伝子に原因がありそうである。
しかし。
「何の環境か?」と問うことによって、環境と能力との因果関係はより複雑になる。
遺伝も然り。
「何の遺伝的要因か?」と問うことによって遺伝と能力との因果関係はより複雑になる。
仮に、「遺伝子A」が能力を向上させる原因だと判明したとする。
では、その「遺伝子A」は何によって発生するか?と問う。
つまり、無制限に問いがつづく。
特定の環境によって遺伝子Aが生成されるならば、今度はその環境の条件などが求められなければならない。
能力がある、とは何か?と問えば、ただ記憶力が良いことだけなのか、それとも空間認知能力の良さなのか。
そもそも無数にある能力は特定の遺伝子に還元できるのか?
素人でも同定の困難さくらいは想像可能である。
つまり、善悪についても同じことが言える。
どこまでもどこまでも、善と悪が複雑に絡まる。
それを細分化することは不可能とすら思えてくる。
だからどこかで妥協点を探さなければならない。
その一助となるのが宗教だとも考えられる。
思想でも代替可能かもしれないが、理詰めで考えても先ほどの超合理主義と何も変わらない。
少しずつ。ゆっくり。
思考だけは前に進ませなければならない。
公開日2024/2/1