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つづきをよみすすめた。(読書日記1284に収録)
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日記
今日も小室直樹の本をメインにいろいろと読み込んだ。
昨日はキリスト教が「異教徒は隣人ではない」というエトスを持っているために殺戮の歴史があるとハッキリ分かった。それに対し、イスラム教は「宗教に強制なし」というエトスがあるので、異教徒に対して改宗は迫らず、寛容的な宗教であることが理解できた。
しかし昨日の段階ではそんな寛容なイスラム教がなぜ9.11のようなテロを行うのか、という問いに対する答えがみえなかった。今日はそのあたりを学んだ。
・・・
『日本人のためのイスラム原論 新装版』
・偶像崇拝に対する構え
キリスト教とイスラム教との比較
“啓典宗教においては偶像崇拝は許されない行為なのだが、このタブーを守っていないのが、キリスト教である。キリスト教ではイエス像はもとより、マリア像までも作ってそれを拝んでいる。” P172
“さて、それはさておき、イスラム教では絶対に偶像崇拝を許さない。” P173
やはり規範がゆるいのはキリスト教。
・ジハードの意味
“あくまでもジハードとは宗教広布のための運動であり、ヨーロッパの侵略とは意味を異にする。イスラム教とはキリスト教など比べものにならないほど、平和的宗教なのである。” P175
今日までに学んだことは、イスラム教は宣教活動をしないということであった。
税金などの制度によって(例えば異教徒には増税を課する)、非暴力的にイスラム教を広めたと小室直樹は説明していた。
そのため、ジハードの本質を今日はいまいち掴めなかった。
“だが、イスラムの教えにおいて、「宗教の寛容」と「自爆テロ」とはちっとも矛盾しない。” P175
これが非常に謎である。小室直樹はイスラムにおける「救済」を掘り下げなければ本質は掴めないと語る。
簡単には掴めないということで、このあと話は広がっていく。ヒントは「宗教の合理化」にあるのだという。
ひとまずメモしようと思った箇所はノートに写した。
・モーセの十戒について
「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」について小室直樹は語る。
“今でもまっとうなクリスチャンなら、「オー、ゴッドoh、God」とか「ガッデムGod damn it(こんちくしょう)」なんて口にしない。軽々しく神の名を口に出すのは、人を殺したり、偽証するのと同じくらい不信心な行ないなのである。” P186
まず小室直樹は「呪術ー奇蹟」の二項対立を持ち出す。
みだりに神の名を唱えることは「呪術」につながる為、十戒で禁じていると語った。
“人間というのはわがままだから、どうにかして自分の都合のいいように物事を動かしたがる。だからこそ、呪術がはびこり、大きな力を持つようになるというわけだ。” P190
“放っておけば宗教にはかならず呪術的要素が侵入しようとする。これは「怪力乱神を語らず」(「論語」述而第七)と述べた孔子の儒教においても同じであった。” P191
小室直樹は、集団救済の場合、呪術はありえないと語った。
また、「予言」というものは往々にして呪術的だとも語った。
加えて、日本には陰陽道というものが知られているが、これは孔子的にはNGだという。
いうまでもなく、それが呪術的だからだという。
神にお願いする⇒非合理的
神にお願いしてその願いを叶えてもらうというのはありがちなパターンである。例えばドラゴンボールの神龍もそうである。
しかしこれは神が人間ごときに操られるということをも意味する。
それは神学的には「非合理」だと小室直樹は語る。
”古代イスラエルの宗教では、こんなことは絶対に許されない。” P194
『古代ユダヤ教』という本を出したマックス・ウェーバーによれば、この合理性がイスラエル人の宗教が世界史に影響を与える要因になったとされる。
“この合理性ゆえに古代イスラエル人の宗教は世界史を変えることになったというのが、マックス・ウェーバーの指摘なのである。” P194-195
196ページでは呪術と奇蹟の違いについて語られた。
人間は自然法則を変える力はない。しかし神が奇蹟を起こすというのは神話めいた話では見受けられる。そういうものが奇蹟と分類される。
“しかし、神様なら、この法則を一時的に変更することもできる。そうやって起きるのが、奇蹟であるというのが啓典宗教の説明である。” P196
小室直樹によれば、倫理的に説明がつくものが「奇蹟」、そうでないものは「呪術」だとされる。
“奇蹟を売り物にする宗教というのは、まず間違いなくインチキだ。” P199
つぎにようやく「救済」の話に移った。
“当初、古代イスラエル人たちは、他の宗教と同様、因果律的な思想を抱いていた。その象徴が契約である。つまり「神との契約を守れば、救済される。神との契約を破れば救済されない」という考えである。契約を守る・守らないによって神の決定が変わるというのだから、これは因果律だ。しかし、古代イスラエル人たちは徐々に、因果律に対して疑いを持ちはじめた。” P204
契約を守っているのになんでこんなに生活が苦しいんだ、と考える人々は少なくなかったと想像される。
だからこの因果律に疑いを持つのは自然と言える。
『ヨブ記』にはこのことに関する物語が語られるのだという。
いったん、小室直樹の本はここでストップ。
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『考える日々 全編』
池田晶子はNHKに対して怒りを見せた。
“ちょうど先日、NHKの教養番組「知への旅」のシリーズで、プラトン『国家』を読む、というのをやっていた。そのあまりの愚劣さに私は、これは正当にも腹を立てた。(・・・)「理想国の実現は不可能だ」と人々は口を揃えていう。人間は、そのように理想的ではあり得ないのだ、と。これは当然のことではないか。人間は理想的ではあり得ないと思っている人間が、理想的であり得ないのは、当然のことではないのか。自ら理想的である気がなく、理想国の実現は不可能だとは、すると、誰に向かって言っているつもりなのか。この世の腐敗を誰のせいにするつもりなのか。” P162-163
一般的な人の考える「自由」とは快楽の追求であり、善の追求者にしか自由は存在し得ないと池田晶子は語った。
プラトンがソクラテスに語らせたのは、まさしくその時代の政治家が自由を単に「快楽へのアクセス可能性」だと考えていたからだろうと自分は思った。
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アーレントの書簡ではユダヤ民族に関する話が多く出てくるが、あまりの難しさに、世界の複雑性に圧倒される感覚を覚えた。
公開日2024/2/7