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日記
『全体主義の起源』刊行後のアーレントとショーレムの対立について軽く読んだ。
何回か往復書簡を重ねていくうちに、アーレントの主張に対して若干の理解を示したかのように見えたものの、やはりアーレントの見解を肯定はできない、とショーレムが書いていた点は自分の目で確認した。
前回か前々回の日記に書いたが、アーレントは民族というものを嫌悪している様子は往復書簡においても確認することができた。
自分は、読んでいて池田晶子と小坂井敏晶氏と重なるところを感じた。
池田晶子は『考える日々 全編』のなかで「日本人」という抽象めいた概念というものを端から信じていなかったし、小坂井敏晶氏は『民族という虚構』のなかで、民族というものは、歴史の過程において、人間によって恣意的に形成されるということを書いていた。
また、アーレントがカントとプラトンの著作を読み込んでいたことからも(法政大学出版局『思索日記』)、やはり池田晶子に似たような点を通過したのではないか、というものを感じさせられた。
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メモ
ヨナスによる責任概念の基礎づけ
“つまり、それ自身において価値がある存在は、迫りくる危機に直面したとき、自らの価値を他者に対して表現し、それによって他者に責任を許すのだ。ヨナスはそうした価値の表現を「呼び声」とも呼んでいる。言い換えるなら、責任とは、それ自身に価値のある存在が、つまり生命が、その存在の危機に直面したとき、周囲に対して表現する呼び声に対して耳を傾け、これに応答することに他ならない。” P229『漂白のアーレント 戦場のヨナス』
倫理 ethics の語源⇒エトス
マックス・ウェーバーの「エトス」とは倫理も射程範囲か?
とすれば、カントの「自由の法則=倫理」もその範疇にあるのか?
本質主義と実存主義について
(人間はどのようにして歴史を正しく理解しうるのか?という問いについて、現代人も理解できるとするならば)
“そうした理解が無条件に正しいと言えるのは、過去と現在の人間が本質的に同じであり、人間の関心や思考が現在と過去とで完全に同一である場合だけである。こうした考え方は本質主義と呼ばれる。” P243『漂白のアーレント 戦場のヨナス』
⇒そうでない場合、それは「実存主義」と呼ばれる
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感想
神なき時代にシオニズムは可能か?
なにを「究極的な規範」としてお互いが協力し合えるのか。
ユダヤ教は謎が多い。
公開日2024/2/13