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その他数冊
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日記
午後から曇りの予報であったが午後も晴れた。
散歩しながら本屋をうろうろしながら読書の1日であった。
宗教社会学を学び始めてから宗教のコーナーも以前よりかは興味を持てるようになった。
(とはいえ幸○の科学のような本には全く興味がない)
なぜ宗教なのか。
経済学者は宗教の力を見落としているように思えたからでもある。
ニーチェによる神の死の宣告を待つことなく、近代以降は世俗の時代に突入してはいるものの、「神は死んだ」だけでは説明がつかないことが多いのではないだろうか。
日本経済を建て直すにはどうすればいいか、といった類いの本は山ほど溢れている。
しかしそれらの9割は統計データをみながら「あれだこれだ」と言っているだけにしか見えない。
加えて、政治の制度上の問題とも思えない節がある。
現代貨幣論に自分は詳しくないのであまり大きな声で言えないが、世界中で当てはまって、なぜか日本だけには通用しない法則というものが必ずあると自分には思えてならない。
また息を吹きかえしたところで、何の反省もしないであろう日本社会は、宮台真司教授の言うように「崩壊を加速させよ」しかないのかもしれない。
『フェルナンド・ペソア伝:異名者たちの迷路』
メモ
“内部から所有しているのではない言語、つまり思考の基盤ではない言語では絶対に書くべきではありませんーーここで「書く」というのは「文学として書く」ということです。” P291
膾炙(かいしゃ)・・・広く知れわたっていること
例)「~は、~として膾炙している。」
・・・
『カール・シュミット入門講義』
本書を読んでいると大学の講義を受けている気分になる。
内容も高度なところが多く、新しい発見ばかりであった。
「自我」というものを突き詰めるとフィヒテ、ロマン派、ヘーゲルなどの論者はそれぞれ独自の解釈へと向かい、袂を分かつ。
メモ
政治的ロマン主義者⇒政治思想家たちの自己正当化に利用される
ロマン主義的政治者⇒ドン・キホーテのように突っ込んでいく
ユリアヌスに触れて
“古代ローマでは、国家が絶対的で、その下での個々の宗教が共存していた。宗教同士がぶつかっても、ギリシア神話のような多神教的システムを解釈によって作りだし、無理に共存させることができた。しかし、キリスト教の台頭以降、立場が逆転し、絶対神の本質を説くキリスト教が普遍的で、ローマも含めて全ての国家は相対的な存在になってしまった” P141
ロマン主義の思考
“ロマン派の発想では、主体と客体の対立も、性の対立も、個人間の対立も、国家間の対立も、「より高い第三者」、全てを包摂する「高次の有機体 (ドイツ語省略)」のようなものに視点を移すことによって「止揚 aufheben」される。「止揚」というのはヘーゲル用語ですが、ここでは話を分かりやすくするために転用しているわけです。「神」というより、そうした「有機体」的なものの中で、二項対立が解消するという考え方が、ロマン派の思考の特徴です。” P109
⇒デリダの二項対立解体論(脱構築)に通ずるものがある
ひとまず、カール・シュミットの書物に接近するには神学・宗教史・文学・哲学の知識が必要とされる、難解な本だということは理解した。
・・・
『「天皇」の原理』
このブログも、小室直樹関係の本が少しずつ増えてきた。
小室直樹の元ゼミ生、副島氏は「このような天才はもう日本には現れない」と書いていた。
京都大学の数学科を出てそのあと法学で博士になり、アメリカで社会学と経済学を学んだという、訳の分からない異次元の経歴を持っている。
それでいて恋愛も馬鹿真面目でストレートで、でもボロボロという、変に格好をつけない、人間らしいエピソードが愛される理由だと自分は思った。
今日は序盤を少し読んだだけで時間がきてしまった。
今まで蓄えた知識で今度は天皇論を学んでいきたいと思う。
そうなれば三島由紀夫の小説の読み方も多少変わってくるだろう。
公開日2024/2/19