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つづきをよみすすめた。(読書日記1299に収録)
その他数冊
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日記
読書日記が1300回に達した。
読了の場合、別の記事としてカウントしているので少なくとも1500回は読書感想文をこのブログに書いたことになるだろうか。
ひとつの記事の文字数の平均を1000とすれば、少なくとも150万文字を書いたことになる。
文庫本の文字数は一冊あたり約10万文字とされている。
塵も積もれば150万文字。原稿用紙3750枚分。
頭の中では「それがどうした」と言っている部分もあるが、今日くらいはやりきったなと思いたい。
とくに目標は設定しなかった。ただやりたいからやってみた次第である。
理想的にはイマニュエル・カントの「無目的の合目的性」として生きていくことである。
岡本太郎や好きな作家も目的を持つことの弊害について語っている。
自分はやはりそれで正しいと思っている。
2021年の記事は1300回の読書日記を書いても、間違いではないと思っている。努力という病に警戒せよ
なのでやはり今でも自分は努力論否定論者である。
「継続は力なり」なんて大きな嘘もいいところだ。
「力が継続のもと」であって、自分の嫌いなことを無理して続くはずがない。
努力という言葉は弱い。
プロテスタントにおける予定説のエトスと比べてみれば、努力というのはやっぱり弱い。
(神学的思考法についてはこちらに)
「努力すれば報われる」
それはイスラーム教とユダヤ教のエートスではないか。と今では考えることも可能になった。
なぜイスラーム教が中世における覇権を手放すことになってしまったのか。
小室直樹でさえも厳密な答えは出せなかったが、「予定説」によって生み出されるエートスが関係していることは間違いなさそうである。
予定説という概念のないイスラーム教はプロテスタントによって追い抜かされてしまったということであった。
「努力ー見返り」という形式について、無宗教の宗教オンチ、我らがニッポン人こそ、やはり宗教史をいまこそ勉強するときではないのか。
(努力努力とうるさい自己啓発信者と、SNSの怪しいビジネス教祖にこの記事を捧ぐ)
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『文芸時評1941-1944』
メモ
“まだ若い小説家は、ときに自分にとってあまりに強力かつ重要にみえる思想に誘惑されるがままになり、その思想を養い育てることを忘れ、そこからほとんど機械的に偉大な書物を引き出すことができると思い込む。逆に、文学の内的な表現手段のほうに関心がある小説家は、わずかなもので満足する。” P280
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『私の先生ーー出会いから問いが生まれる』
この本にも小室直樹と同じことが書かれていた。
プロテスタントの予定説からなぜ資本主義の精神が発生したのか。キリスト教は利子を禁止。イスラーム教は金儲けを大昔から行っていたし、ユダヤ教も利子を禁止している。何が違うのか?やはり「予定説」であった。教義で金儲けを絶対的に禁止しているという思想があり、かつ予定説の概念があるのはキリスト教だけであった。
大澤真幸は、これが「ニューカムのパラドックス」と似ている点を指摘した。
これぞ逆説のパワー。
逆説について何度も何度もこのブログでテーマにしてきただけに、読んでいてうなずくことが多かった。
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『「天皇」の原理』
そろそろ後半に入ってきたところだ。
昨日は、日本人が「予定説」を理解することは、小学生に位相数学を教えることよりも難しいと
小室直樹が書いているのを読んだ。『代表的日本人』を書いた内村鑑三でさえも例外ではないと小室直樹が語った。ただ、一歩手前の理解までは進んでおり、一定の評価はしているようであった。
“内村鑑三は、「救済は道徳以上である」(内村前掲書 176項)というところまでは理解している。しかし、彼の理解はそこで止まって、それより一歩も先には進まない。「救済(選び、予定)は道徳以上」なのではない。「救済とは道徳とは関係ない」のである。これが予定説の急所。” P135
“こうして選びは望む者や走る者によらず、神のあわれみによる。(「ローマ人への手紙」第9章 16)” P136
ユダヤ教は因果律(コーザリティ)。
法を守れば救われる。
キリスト教は予定説。
法を守っても救われる人はすでに決まっており、今後どうなるかはわからない。
この違いによってのみ歴史に差が開いたのか?
なぜ無宗教の日本はアジアで頂点に立ったのか?
まだまだ未知なことは多い。
ということで、明日も元気に読書。
つづく
公開日2024/2/22
画像引用元:水声社
http://www.suiseisha.net/blog/?p=1124